地車型分け図鑑:大阪型

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大阪型(斜め前)
大阪型(斜め前)
大阪型(斜め後)
大阪型(斜め後)
大阪型の台木の前部
大阪型の台木の前部

大阪市内やその周辺部で多く見られ、「江戸期には84台の地車が宮入りした」との記録が残る、大阪天満宮の祭礼を中心として発展してきた形態の地車と推測される。

大屋根と小屋根の段差は小さく、大屋根後部に懸魚は付かない。
屋根と縁の寸法がほぼ等しい。
前部の台木(妻台)は前柱よりも前に取り付けられており、そのすき間から前梃子を差し込み地車を停止させる。
梶を取るための「後梃子」は用いずに、地車本体の四方を囲む「担い棒」で梶を取る。
見送りは三枚板で細工され、彫物図柄は武者物が多い。

現存する地車は明治以降に製作されたものが大半で、《彫清》・《辻田》・《彫又》などの他にも多くの彫物師がノミを振るっている。

元々は見送りや土呂幕に彫物が施されていない『幕式地車』であったが、後年に彫物を付け足したと考察できる地車も存在している。

「吹田型」と分類する研究者も
「吹田型」と分類する研究者も
「吹田型」の見送り部分
「吹田型」の見送り部分

なお、吹田市には同様の形態の地車が存在しているが、製作年代は天保年間や嘉永年間で地元吹田の大工らの手により製作されたもの。 縁の下に「腰組」が施され、土呂幕部分も格子で細工。
彫物も花鳥物や仙人などが彫られているなど、地車彫刻の題材としては古いものが用いられている。

したがって、現存する大阪型よりも古い形態を残し、江戸期の天満の地車に通ずるものと考察されている。

よって吹田市内にて曳行・保存されている、この形態の地車を【吹田型】として分類する地車研究者も多い。