地車型分け図鑑:堺型

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堺型(斜め前)
堺型(斜め前)
堺型(側面)
堺型(側面)
正面土呂幕部分(花戸口)
正面土呂幕部分(花戸口)
腰廻りに配された八本の柱と上下に分かれた土呂幕
腰廻りに配された八本の柱と上下に分かれた土呂幕

江戸末期から明治初期に、堺の地車大工の手により製作された地車。
少数ではあるが、堺に居をなした『萬源』こと《木村》一門の墨書が発見されている地車も存在する。
彫物は堺の《彫又》一門の手によるものが一般的。

屋根の勾配は浅く扁平で、大屋根と小屋根の段差は大きく、小屋根側面の寸法は短い。
また、狭い路地を通れるように、屋根の軒を折りたためるようにした『折屋根』式のものもある。
屋根を支える枡組の下には「台輪」と呼ばれる水平材が用いられている。
勾欄は「擬宝珠勾欄」で細工されるのがほとんど。少数ではあるが、彫物を施した「板勾欄」やそれに「出人形」の付くものも存在する。 見送り部分は三枚板で細工されている。
古いタイプの中には、勾欄・縁葛を見送り部分まで廻さずに後正面の見送りを土呂幕までの一枚物の彫物にしたものも存在する。 幟差し・旗台が付く。
台木の前後は「波頭」で細工されている。
梶取は後梃子でおこなう。

このタイプの地車の一番の特徴は、腰廻りに八本の柱を巡らせ、そのうち六本が屋根を支える「通し柱」である点。したがって、側面の土呂幕部分は片側三面。また、「虹梁」を入れることにより上下二段に分割されているものが多い。土呂幕の前には擬宝珠勾欄(下勾欄)が施されている。
丸太を組んだ担い棒が取り付けられているものが多いが、元々は取り付けられておらず正面土呂幕部分(花戸口)を「火燈窓」で細工し、その上部の隅に切り込みを施し、引き出し式の担い棒(堺市内では閂と呼ばれていた)が出し入れ出来るように細工されているものも存在していた。

堺市内のみならず広範囲で曳行されていたが、堺市内においては戦後の地車衰退期に休止・廃絶にともない解体・焼却されたり、昭和50年代以降の地車新調や岸和田型への移行にともない、ほとんど姿を消してしまったのは残念でならない。 屋形細工のみならず、彫物までも堺の職人達によって製作された地車。まさに「Made in Sakai」というにふさわしい地車である。