地車工匠事典〜岸和田型地車編〜

歴史を継承する技 地車に懸ける心意気 だんじりの魂を作事する匠

   

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永谷 喜代松ながたに きよまつ [大工]
屋号は《大久》。昭和36年(1961)8月20日死去。享年75歳。岸和田市下野町に居住した。下野町の老舗大工《大九》こと永谷家分家。大正9年(1920)岸和田市春木南先代[現別所町]地車などを作事する。
中本 浅吉なかもと あさきち [大工]
屋号は《大浅》。昭和5年(1930)6月4日死去。中本家に養子に行き貝塚市津田に居住した。兄朝代市松は泉州で一番の大工棟梁に弟子入りし、自身は二番の大工に弟子入りしたという。大正8年(1919)地元津田[現堺市西区上石津]地車を作事する。
中川 理(利)兵衛なかがわ りへえ [彫物師]
生歿年不詳。大坂の由緒ある彫刻師 中川一門の何代目であるかは不明。安政2年(1855)大北町先々代[現東大阪市角田]地車とみられる彫刻に墨書きあり。
中山 久義なかやま ひさよし [彫物師]
号は旭峰。昭和24年(1949)生まれ。師匠は兄 中山慶春(井波彫刻)。有限会社木下彫刻工芸の助として活躍中。
西岡 徳次郎にしおか とくじろう [彫物師]
江戸末期、名門《彫又》二代目 西岡又兵衛の長男として生まれる。弟の弥三郎とともに活躍する。
西岡 弥三郎にしおか やさぶろう [彫物師]
天保9年(1838)二代目 西岡又兵衛の三男として生まれる。上地車を中心に彫刻するが、岸和田型地車の数台にもその作品は残っている。
西澤 大美にしざわ ひろみ [彫物師]
昭和26年(1951)5月19日上丹生に生まれる上丹生彫 西澤年男の弟子。昭和62年(1987)高石市東羽衣[現和歌山県橋本市清水]地車を彫刻。
西本 五葉にしもと ごよう [彫物師]
本名 西本榮次郎。明治20年(1887)10月5日〜昭和18年(1943)10月8日。西村伊三郎(舟山)の息子。高村光雲、その弟子の山本瑞雲の教えも受ける芸術家肌の人。昭和8年(1933)筋海町地車を彫刻。
西本 舟山にしもと しゅうざん [彫物師]
本名 西本伊三郎。堺市に生まれる。昭和2年(1927)1月3日死去。享年64歳。堺《彫又》の流れで西岡弥三郎門人。大正9年(1920)岸和田市春木南先代[現岸和田市別所町]地車、大正12年 岸和田市春木北[現和泉市幸町]地車などを彫刻。
二代目 高松 彦四郎秀延にだいめ たかまつ ひこしろうしゅうえん [彫物師]
安田卯ノ丸とも称する。岸和田出身といわれる。大工「絹屋」の仕事を一手に引き受けるが、名人気質の人で自ら彫刻を刻むことは少なかったらしい。明治12年(1879)北町先々代[現奈良県大和高田市大和地車保存会]地車、明治22年(1889)堺町先代[現熊取町野田]地車などを彫刻。
野原 湛水のはら たんすい [彫物師]
本名 勉。昭和30年(1955)6月15日生まれ。井波彫刻の初代藤崎秀一に入門し5年の修業を経て独立。独自に研究を重ねて地車彫刻を手掛ける。平成11年(1999)岸和田市三田町地車などを彫刻。
※2007年発行『岸和田だんじり読本』より著者の許可のもと引用・一部修正をおこなっています。