地車工匠事典〜岸和田型地車編〜

歴史を継承する技 地車に懸ける心意気 だんじりの魂を作事する匠

   

地車工匠事典 検索結果15

<さ行>

櫻井(小川) 金平さくらい(おがわ)きんぺい [大工]
明治7年(1874)〜昭和29年(1954)。四国讃岐生まれ。櫻井義國の跡目養子となり、助として活躍する。養父・義國同様、大工仕事と彫物仕事の両方をこなした。昭和4年(1929)忠岡町濱之町先代[現堺市中区深井中町西]地車を作事する。
櫻井 新兵衛さくらい しんべえ [大工]
代々新六を名乗った岸和田餌差町(現筋海町)の老舗大工棟梁家《大新》に生まれる。昭和3年(1928)3月8日死去。明治34年(1901)沼町先代[岸和田だんじり会館展示]地車を作事する。
櫻井 義國さくらい よしくに [大工]
安政2年(1855)〜大正14年(1925)。忠岡の老舗大工棟梁・櫻井藤太郎の長男。大工・彫物をこなし「明治甚五郎」と称えられた。屋号の《左ヱ門》は古くは《左右衛門》か。大正10年(1921)並松町地車などを作事す。
佐野 和久さの かずひさ [大工]
《大義》植山工務店三代目棟梁。昭和41年(1966)7月5日岸和田市五軒屋町生まれ。植山良雄の弟子。平成15年(2003)岸和田市下池田町地車、同年同市箕土路町地車などを作事。
櫻井 義國さくらい よしくに [彫物師]
安政2年(1855)〜大正14年(1925)。忠岡の老舗 大工棟梁・櫻井藤太郎の長男。大工・彫物をこなし「明治甚五郎」と称された。屋号の《左ヱ門》は古くは《佐右衛門》か。彫物は宮地弥津計に師事する。明治34年 沼町先代[岸和田市だんじり会館展示]地車、大正6年 北町先代[現岸和田市葛城町]、大正10年 並松町地車などを彫刻。
佐生 武之輔さしょう たけのすけ [彫物師]
一元林峰一番弟子。林峰の助として活躍し、猛々しい木鼻の獅子の彫物には定評があった。
三代目 黒田 正勝さんだいめ くろだ まさかつ [彫物師]
明治9年(1876)〜昭和6年(1931)。播州飾磨の人。二代目黒田正勝の跡目息子で開生藤の弟弟子。大正11年(1922)大手町先代[現貝塚市馬場]地車などを彫刻。
重谷 喬雲しげたに きょううん [彫物師]
明治中期から昭和初期にかけて活躍。二代目 彦四郎最後の弟子。大阪東成近辺に居住した。櫻井義國や保田卯ノ松の助として活躍する。昭和4年(1929)忠岡町濱之町先代[現堺市中区深井中町西]地車などを彫刻。
十場 祐次郎じゅうば ゆうじろう [彫物師]
大正10年(1921)〜平成10年(1998)12月15日。上田喜太郎の四男で十場家の養子となり岸和田市中之濱町に居住した。地車衰退期も岸和田を離れずに活躍する。昭和61年(1986)岸和田市春木松風町地車などを彫刻。
上間 敦美じょうま あつみ [彫物師]
上間庄平次男。父の助として活躍する。
上間 貫治じょうま かんじ [彫物師]
昭和48年(1973)死去。享年75歳。上間庄平長男。父の助として活躍する。
上間 庄平じょうま しょうへい [彫物師]
明治13年(1880)〜明治37年(1962)。貝塚生まれ。和泉彫の流れを汲む二代目 平間勝利一番弟子。大正7年(1919)宮本町先々代[現熊取町大久保]地車、大正10年(1921)宮本町先代[現堺市南区檜尾]地車などを彫刻。
初代 高松 彦四郎しょだい たかまつ ひこしろう [彫物師]
生歿年不詳。江戸末期から明治初期にかけて活躍したと推察される和泉彫 彫物師。
白井 秀紀しらい ひでき [彫物師]
屋号は《木彫白井》。昭和46年(1971)11月25日岸和田市春木大小路町生まれ。平成元年(1989)4月1日筒井伸に弟子入り。平成12年(2000)12月12日独立。
砂子 俊和すなご としかず [彫物師]
昭和7年(1932)12月29日生まれ。淡路生穂出身。湯野金三郎の孫。松田正幸の一番弟子。松田師の助として活躍する。
※2007年発行『岸和田だんじり読本』より著者の許可のもと引用・一部修正をおこなっています。