祭礼用語集

だんじり祭に関連する祭礼用語を解説します。

     

祭礼用語集 検索結果17

<あ行>

あて板あていた
泉大津市濱八町地区は、泉州地域において唯一すべての地車が「上地車」。祭礼時、前方に止まっている地車目がけて後方より一直線に突進し、相手の地車に当てることを「かち合い(かっちゃい)」と呼び、その際に地車前部の勾欄を覆う形で取り付けられるのが「あて板」。前に止まっている地車の後梃子がこの板に当たる。材質は地車と同じく丈夫な欅を用いる。
あて板
洗い(灰洗い)あらい(はいあらい)
年月が経ち日焼けやほこり等で色が黒ずんだ地車を、特殊な薬品を使って汚れを落とすこと。現在では薬品を使うが、昔は灰(アク)を使用したので灰洗い(はいあらい)と呼ばれることも。洗いをかけると見た目には美しくなるが、木本来の性質を失うので望ましくはない。
あわせ梃子あわせでこ
岸和田市中北町がやりまわしをおこなう際に、外側の前梃子が一人で後を向き、二本の梃子を操ることを「あわせ梃子」と呼ぶ。現在は行われていない。
安全祈願祭あんぜんきがんさい
岸和田だんじり祭において毎年、祭礼前に浪切神社にて行われる安全を祈願する行事。旧市22町全町の祭礼関係者代表格が纏を持ち寄り、祭りの安全を祈願する。平成11年より行われている比較的新しい行事である。
安全柵あんぜんさく
地車の台木の前(コマの前)に取り付けられる柵。曳き手が転んで綱を離しても地車に巻き込まれない様に取り付けられている。昭和の中頃までは安全柵の付いていない地車も多く見られたが、近年では大阪市内や泉州以外の地域でも付けている地車が多い。
安全柵
石段登りいしだんのぼり
池田市新町が地車を曳行する際、地車小屋のある神社が山の上にあるため、59段の階段を下り、曳行が終わるとその階段を登る。
石段登り
一番鉦いちばんがね
天神祭りの7月24日宵宮午前4時、大阪天満宮の大門が開かれ、境内にて一番鉦の天神囃子が響き渡る。「一番鉦」とは、あくまでも地車的な呼び名である。一番太鼓の時に太鼓中と手打ちを交わす「地車講」が、そのまま地車囃子を一曲打つ事から「一番鉦」と呼ばれるようになった。元々は天神祭りの始まりを告げる「触れ太鼓」として、催し太鼓を受け持つ「太鼓中」と呼ばれる講が始めた行事で、正式には「一番太鼓」と呼ぶ。また、太鼓中による一番太鼓や、そこに地車囃子が加わる様になったのは、いつの頃からか定かではない。
後梃子うしろてこ
地車の後部に取り付ける3メートル程の梶取り棒のこと。泉州地域では拾伍人組や参拾人組といった団体が担当する箇所である。梶棒には緞子(ドンス)と呼ばれるロープを数本くくり付け、進行の調整や方向転換の際にドンスを張って体重をかけ、大工方の合図に従い梶を取る。ほとんどが樫の木で作られている。
後梃子
曳行責任者えいこうせきにんしゃ
泉州地域の祭礼において、各町の地車曳行時の最高責任者が曳行責任者。祭り経験の豊富な世話人会や若頭会等から選ばれた人が担当する。
大坂手打ち(大坂締め)おおさかてうち
「打ちましょシャンシャン、もひとつせシャンシャン、祝おーて三度シャンシャンシャン」のリズム合わせて打つ、大阪に伝わる「手締め」のこと。大阪は昔より商人の町で、商談などの際、「ほな、ここらへんで手打ちましょか」という言い回しが使われることからも「手打ち」がポピュラー。江戸の「一本締め」・「三本締め」にならって、「大坂締め」とも呼ばれているが、正しくは「手打ち」または「大坂手打ち」、「上方手打ち」ともいう。手打ちは物事が無事終わった事を祝って打つものであるが、祭礼の御祝儀を頂いた時に感謝の意を込めても打たれる。
お別れ曳行おわかれえいこう
近年使われるようになった造語で、地車がその町から売却される際になごりを惜しんで曳行すること。
追い役おいやく
やりまわし中心の泉州地域の曳行形式において、曳き手の周りについて活気付け、沸き立たせ、気持ちを高揚させる青年団員のポジションを「追い役」と呼び、団長も追い役の一人である。
追い役
置きゴマおきごま
地車を小屋に保管する時に履かせているコマのこと。生木で出来たコマは乾燥などによりヒビ割れするので、木端を張り合わせて作った集積ゴマを用いる。近年、曳行用の集積ゴマも登場している。
御花おはな
祭礼時に、地域の家庭や店舗などから頂く、お金やお酒などの御祝儀のこと。祭礼の運営費や飲食代にあてられる。
御花
御披露目曳行おひろめえいこう
地車を修復した際や新調した際に、町民や近隣の人に御披露目する為に曳行する事を御披露目曳行と呼ぶ。入魂式後の同日、御披露目曳行を行うのが一般的であるが、御披露目曳行を別の日に行なわれることもある。
おっしゃんしゃんおっしゃんしゃん
岸和田市沼町で行われる祭礼終了時の伝統行事。本宮の22時過ぎ、地車を小屋に納める際に行われる。寛永17年(1640)、播州高槻から岸和田へ移ってきた岡部宣勝が入城する際に、貧困にあえぐ百八ヶ村の領民が年貢軽減の強訴を行おうとした。百八ヶ村の庄屋の代表であった沼村の庄屋・川崎久左衛門らが、現在の欄干橋付近で直訴を行い、川崎久左衛門は斬首になってしまうが、7千石の減石となった。その感謝の気持ちを込め、笛・鉦・太鼓の鳴物を奏で、「おっしゃんしゃんの、しゃんころべ」と唱和して相撲を取る。「庄屋さんに感謝」がなまり、この言葉になったと伝えられる。岸和田市上町では相撲を取らないが、これと似た行事が地車の入庫時に行なわれる。
御渡りおわたり
祭礼時の神事のひとつ。神社の御神体が神輿に乗せられ氏地を廻ること。神社から末社、御旅所、神社跡などへ渡っていくこと。地車は御渡りの際の練り物のひとつとも考えられているが、近年、地車曳行を最優先し、神事を軽視している傾向がある。