祭礼用語集

だんじり祭に関連する祭礼用語を解説します。

     

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<か行>

飾り幕かざりまく
地車に取り付けられる飾りのついた幕のこと。種類や取り付ける場所は、地域や地車の形態によっても様々。岸和田型地車には豪華な刺繍が入った幕を取り付けている例は少なく、上地車の見送り幕などには豪華な刺繍を入れる場合が多い。
飾り幕
かち合いかちあい
泉大津市大津地区(濱八町)は、泉州において唯一すべての地車が「上地車」。曳行時、前方に止まっている地車目がけて後方より一直線に突進し、前方の地車に当てることを「かち合い(かっちゃい)」と呼ぶ。昭和40年頃までは前後左右からも当て、よく喧嘩になったが、現在は後ろから来た地車のあて板を前方の地車の後梃子の先に当てる。当てられた地車は、その反動と共に猛ダッシュして行く。時には、数台の玉突きが見れることもある。
担ぎ上げかつぎあげ
地車の肩背棒に肩を入れ、神輿のように地車を担ぎ上げること。大阪市福島区海老江八坂神社祭礼や大阪市生野区猪飼野などが有名。地域によっては、地車の前や後を担ぎ上げることを指す。
担ぎ上げ
蟹祭りかにまつり
9月に行われる岸和田だんじり祭を、別名「蟹祭り」と呼ぶ。昔から泉州近海で獲れた「渡り蟹」を祭りの日のご馳走として食べたからである。現在でもこの風習は、受け継がれている。
上地車かみだんじり
『岸和田型』以外の地車の総称。この呼び名は、昭和40年代から地車研究家の間で呼び交わされてきたもので、泉大津市と岸和田市の境界のあたる『大津川』の北と南で、曳行されている地車の形態が異なっていたことに由来している。北側を「上」、南側を「下」とし、上地車には「担い棒」と呼ばれる枠が付いているのに対し、下地車と呼ばれる『岸和田型』地車には付いてないのがこの分類の根拠。堺型・住吉型・石川型(俄だんじり)・神戸型など、細分化していくと20数種類に分類される。
カラクリ地車からくりだんじり
江戸期に製作された『岸和田型』地車には、大屋根を上げ下げできるカラクリが取り付けられている。これは、岸和田城の城門をくぐる際に大屋根を下げるため。それにより土呂幕は、前後の筒柱の間にはめ込まれており、屋根を上げ下げする柱を止める栓が外部に出ている。小屋根は後へ摺り出すようになっており、摺出鼻の名称はここからきている。また、現存最古の地車であると考えられている、文化4年(1807)に製作された太子町大道の『石川型』地車には、屋形そのものを上げ下げさせるからくりが施されている。
カラクリ地車
岸和田だんじり祭きしわだだんじりまつり
大阪府岸和田市で毎年9月敬老の日の前日、前々日に開催される祭り。曳き手が走り、速度に乗った地車を方向転換させる「やりまわし」を見所とし多くの観光客を集めている。岸和田だんじり祭の起源は定かではないが、一般に言われているのは元禄16年(1703)、時の岸和田藩主岡部長泰公が京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願し執り行った稲荷祭りがその起源であり、祭礼として庶民の参拝を許した。これが始まりだと云われている。現在では22町の地車が岸城神社と岸和田天神宮へそれぞれ宮入りし、五穀豊穣・無病息災などを祈願する。昭和47年(1972)にマスコミに取り上げられた事がきっかけで全国的に知名度が広がり、現在では日本を代表する祭りの一つ。
岸和田だんじり会館きしわだだんじりかいかん
平成5年9月に開館した、岸和田だんじり祭を年中体感でき、広く色々な人々にだんじり祭りの魅力を伝える事を目的として作られた博物館。岸和田市五軒屋町にて曳行されていた現存最古の岸和田型地車や天保時代に製作された紙屋町先代地車、明治時代に製作された沼町先代地車など、歴史的にも非常に価値のある地車が三台展示されている。岸和田市内全町のハッピの展示や、鳴物の体験コーナーなどもあり、岸和田祭りを広く後世に伝えるべく無くてはならない存在。年間を通して様々なイベントや欅のチャリティーバザーなど、多くの来場者で賑わっている。
旧市きゅうし
旧市街地を胆略化した言葉。9月に行われる岸和田だんじり祭の地域が岸和田旧市街地にあたるため、いつの頃からか地車関係者らが「旧市」と呼ぶようになった。
金縄(金綱)きんなわ(きんつな)
金糸や銀糸を用いた縄を編んで太くさせた縄。地車本体の屋根廻りに取り付けられる。元来は、神聖な場所、悪気が入り込まないよう、「しめ縄」的役割で取り付けられていたが、現在では装飾としての意味合いが強い。
金縄(金綱)
行基参りぎょうきまいり
岸和田市八木地区の祭礼において古くから伝わる行事。世に有名な行基菩薩が開いたと云われる久米田寺に地区内11台の地車と、隣の山直地区から田治米町・今木町の2台、計13台が祭礼二日目の午前中に寺へ集う。行基に感謝の意を込める行基参りの日は、昔は各村により異なっていた。明治10年(1877)頃には4台の地車が曳き入れられたと云われ、現在のように八木地区11台の地車が入るようになったのは、明治末期から大正の初めと云われている。
化粧けしょう
地車の幕・金縄・房・幟・提灯等の飾りのことを「化粧」と呼ぶ。「飾り」と呼ぶ場合も多い。
ケンカ祭りけんかまつり
「だんじり祭り」といえば、「ケンカ祭り」と言われることが多い。古来より、五穀豊穣・無病息災などを願って行われてきた祭りであるが、「酒とケンかは祭りに付き物」と言われるほど、庶民にとって祭りは普段のうっぷんを発散させるものでもあった。
けやき
地車本体の材料は主に欅であり、丈夫で色艶が良いことから使用されてきた。南河内一帯で多く見られる「石川型(俄だんじり)」は檜で製作されているが、近年は欅で製作した石川型も登場している。
ゲタ祭りげたまつり
昔から、岸和田だんじり祭の日はよく雨が降り、雨が降った時には足元が濡れない様にゲタを履いた習慣があることから、別名「ゲタ祭り」と呼ばれる。不思議なことに祭礼日が毎年変わる今日においても、岸和田祭には雨がつきものである。
原木祭げんぼくさい
地車を新調する際、製作するための用材(原木)を祓い清め、地車の無事完成を祈願する儀式。町内の広場や製材所で行われる事が多い。
原木祭
交差旗こうさばた
地車の前に交差して取り付ける旗。「前旗」とも呼ばれる。岸和田においては、大正期以降に付けられ始めたと考えられ、青年団の運動会やソフトボール大会の優勝旗を地車の前に誇らしげに掲げたのが始まりと云われる。太平洋戦争中は戦意高揚のため、日章旗や旭日旗を飾るようになり、戦後その名残で神社紋や町紋を刺繍した旗を掲げるようになった。
交差旗
コマこま
車のタイヤ部分にあたり、材質は松や楓の木など。大阪府内の地車は、基本的に内ゴマと呼ばれ台木の内側にコマがある。対照的に外ゴマの地車は兵庫県神戸市を中心に多数見られ、台木の外側にコマが付いている。
駒提灯こまちょうちん
泉州地域では、灯入れ曳行時に地車の正面を中心に駒提灯と呼ばれる縦に長い円筒形の提灯を付け、その数は一台のだんじりで百個以上にもなる。
駒提灯
御幣ごへい
地車の屋根の上(獅噛や鳥衾)や枡合等に取り付けられる木の幣串や榊に二本の紙垂を付けたもの。神の依り代、清め祓うためのものとされるが、お守り的な意味合いで取り付けられているとも考えらる。
御幣
五枚板ごまいいた
主に堺・住吉型や大阪型の地車に多く見受けられる見送りの「三枚板」は小屋根の下に納まっているが、組み方や型式が違えど大屋根下の左右にも大きな板式の彫物が付けられている地車を「五枚板式」と呼ぶ。その台数は非常に少なく、富田林市五軒家を始め、羽曳野市古市北町・千早赤阪村二河原辺・奈良県大和高田市本町壱の四台が現存するのみ。
五枚板
護摩焚きごまたき
岸和田市紙屋町で行われている、祭礼の安全を祈願して町内の行者講が中心となり地車の前で護摩を焚き、祭装束一式、前梃子、曳き綱などを清める行事。