「私たちの気付かない漫画のこと」第3回主人公の視点「だけ」で感想が決まってしまうこと

2017/09/15

WRITER泉信行・西島大介

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「私たちの気付かない漫画のこと」第3回主人公の視点「だけ」で感想が決まってしまうこと

漫画研究家・泉信行さんが、漫画家・西島大介さんの挿絵とともに、いつも私たちが読んでいる「漫画」のイメージや、見え方が変わるような視点をお伝えしていきます。

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ひとつの漫画、ふたつのレビュー

「言われてみるまで、考えもしないこと」をテーマにしたこの連載も、第3回。今回は、ある人たちにとっては当たり前な見方でも、そうでない人たちもいる……そんな視点にも進んでみます。

まず登場するのは、平間要『ぽちゃまに』という少女漫画。『花とゆめ』『別冊花とゆめ』で6年間連載し、2017年に完結したラブコメ作品です。

ふっくら女子高校生の本橋紬(つむぎ)はある日、イケメンの後輩男子・田上幸也に告白される。田上は、ぽっちゃりした女の子が大好きなぽっちゃりマニア=「ぽちゃまに」なのだ。
〈おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』〉第103回 『ぽちゃまに』 平間要(白泉社)

マンガエッセイスト・川原和子さんはこのレビューで、「ぽっちゃり型の女子というユニークなヒロインを描いていること」、そして「少女漫画においては珍しく、身体的ななまなましさでヒロインの可愛さを伝えていること」の二点を特徴として触れています。

「太っていること」を女の子の魅力として前向きに描くだけでなく、少女向けジャンルでは「男性的な目線」などと言われ避けられがちだった、肉感的なやわらかさ・セクシャルさとともに表現した点に驚きがあったのです。

ぽっちゃりという思春期の女の子の身体の(世間的にはネガティブとされている)要素を真っ正面からとりあげつつ、偽善的にならず作品を成立させている本作は、少女マンガ的伝統をふまえつつも革新性をとりいれた、古くて新しい素敵な作品なのだ。
―同上

そんな作品ですが、一方でこんなレビューも存在しています。

そこまでして「自己肯定」する時代なのか。今までの少女マンガの主人公は、『キャンディ・キャンディ』(講談社)のキャンディや『花より男子』(集英社)のつくしみたいに、社会と戦っている女の代表というイメージがあった。外見や生まれにコンプレックスがあったって、乗り越えられた。それは、“努力”を評価してくれる人がいたからだ。でも、『ぽちゃまに』では、田上くんにとっての紬の価値は、太っていること。〔…〕自分の意志薄弱を棚に上げておデブを肯定し、イケメンの彼氏ができた女に対して思うのは、「希少な趣味の人に出会えて良かったね」だけである。〔…〕将来に希望が持てない世代や、バブルという強気の時代を知らない人たちには、こういう寛容で優しい作品が必要だってことなんだろうか。しかし、筆者は、努力なくして明るい未来はないんだよ! と言いたくなってしまう。
〈マンガ・日本メイ作劇場第36回〉おデブ“だから”イケメンに愛される!?  『ぽちゃまに』に見る、努力を捨てたヒロイン像

さて、ここまでの評価の違いがなぜ生まれてしまうのでしょうか。この記事を書いた和久井香菜子さんは、『少女マンガで読み解く 乙女心のツボ』(カンゼン)という著書もある少女漫画研究者。ただ、その著書のキーワードが「乙女心」「女性が求める理想の恋」であることから思うのは、少女漫画の恋愛を「女性読者がヒロインの視点でときめくもの」として捉えていそうだということです。

ヒロインから見るか、ヒロイン以外から見るか?

その「乙女」という言葉は、プレイヤーが女性主人公となって男性キャラと恋愛するゲームを「乙女ゲーム」と呼ぶ感覚にも似ています。

つまり、「乙女」的な願望として『ぽちゃまに』が描かれているという「読み方」をするおかげで、自己肯定ばかりの作品、共感のできないヒロイン……という感想が生まれる気がするのです。

ところで、『ぽちゃまに』の作者はヒロインをどう認識しているのでしょうか? 前出のレビュー記事の半年後に公開された、作者インタビューを見てみます。

じゃあ、ヒロインは思いっきり私の好きなタイプにしようと。以前から私、ふっくらした女の子が好きだったんです。
平間要『ぽちゃまに』インタビュー【前編】 ぽっちゃりヒロインがかわいすぎる! 読めば心があったまる癒し系ラブコメ!!

小柄でぽっちゃりした女性タレントが好きで、本人も自覚しないまま、女子校時代からその傾向があった……と赤裸々に語られているわけですが、つまり「ぽっちゃりマニア」とは作者の趣味とイコールなんですね。
もっと言えば、作者とより近い登場人物は、ヒロインではなくむしろ相手役の男子(=ぽちゃまに)なのだと言えるでしょう。太めでもなく、背は高めという作者の体格だけを比べても、ヒロインの姿とは距離がありますし。

男性目線の女性作者、ヒロインから視るか、それ以外(男性的視点)から視るか

平間さんは「ぽっちゃり好き男性の意見」にも共感するそうで、少女漫画にしては珍しく「男性的な目線=肉感的なエロチックさ」が絵に込められたのも納得かもしれません。さらに『ぽちゃまに』のヒロインは女子の友達から慕われやすい人としても描かれますから、そこには「女友達の目線」でこんな女の子が好き、という女子校時代のリアルな感情が入っているかのよう。

そして『ぽちゃまに』の公式サイトが行っていた宣伝活動が「ぽっちゃり普及委員会」というもの。完全に編集部も、「ぽっちゃり好きを増やしたい」という目線から作品の魅力を伝えようとする姿勢なんです。

和久井香菜子さんのレビューは最後に、(「ヒロインに特筆すべき魅力がない」と評した上で)「こんなヒロインの相談に真面目になってくれる女友達のキャラがすばらしい」という、皮肉も混じったコメントで締めくくっています。でも、その親友キャラを褒めるというのは、実際のところ「ヒロインを好きな作者や愛読者」を褒めているようなものなんですね。

「ヒロインのかわいさ」を動機にする少女漫画家もいる

『ぽちゃまに』のように、(肉感的な目線じゃなくても)「ヒロインの可愛さや、美しさを描きたい」という欲求が目立つ表現は、少女漫画界の潮流として歴史があります。例えば吉住渉の『ハンサムな彼女』。作者があとがきで「まず、とってもきれいな女の子が描きたかった」と明かし、それが(性別を問わない)ハンサムと付くタイトルに繋がっています。

ヒロインは中学生の芸能人で、読者の女子(掲載誌は低年齢向けの『りぼん』でした)からすればまさに美少女タレント的な存在。雑誌の付録となるキャラクターグッズも人気が高かったと言われています。

『ハンサムな彼女』は平成初頭(約30年前!)の少女漫画ですが、「とびきりの美少女を描くこと」自体をコンセプトにした作品は現在も人気です。近年のヒット作では『日々蝶々』(森下suu)が代表的で、おおよそ「少女漫画として珍しい設定」とみなされつつも、需要と供給が成り立っています。

さて、今から述べる内容は、意外と思う人は意外に感じるかもしれません。でも、実話としてご紹介します。……「少女漫画家には、イケメンだけじゃなく、美少女を描きたくてテーマを決めるタイプの人もいるんですよ」と説明すると、「それ本当に?」という反応をして、にわかには納得しない人っているんです。それも女性の漫画読者で、ですよ。

彼女らの思う少女漫画とは、「男子にときめくもの」であって、自然と「主人公の視点から男子を見る」、つまり(主人公への共感は求めても)「主人公を可愛がる視点にはならない」ものとして認識されているようでした。

少女向けの童話では、美しいお姫様を主人公にした「プリンセスもの」がいつの時代も人気があるものでしょう。ですがそれすらも、「少女の変身願望」と解釈されることが多いように感じます。自分がなる、なりたい対象が「お姫様」であり、それこそが「主人公」だという先入観によって。

ここまでの話を読んで、「なぜ、主人公以外の視点っていう解釈にならないの?」と、不思議に感じる人もきっと多いのではないでしょうか。

一人で「すべてのキャラクターになる」漫画家

この問題は、映画でも小説でも、物語ならなんでも当てはまる現象のような気もします。でも、漫画家の表現だからこそ気付けることがあります。

「漫画という作業は、最終的に演技者もやらなければいけない」 ……これは漫画家・浦沢直樹の言葉でした(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」第38回より)。

監督となり、脚本家となり、そして「すべてのキャラクターを演じる役者」にもなる。それが漫画という表現なのですが、つまり実写で撮影するような表現よりも、作者には「何人もの感情になりきる」必要性がグッと高まるものです。

一人で全部を演じねばならない、という意味では、映画や演劇よりも「落語」に似ているかもしれません。そもそも落語の演目では「主人公」という役割は薄いものですし、落語家の顔が右を向き、左を向くたびに入れ替わるキャラクターによって、立体的な視点を観客に想像させます。

漫画家≒落語家?

あるキャラクターが「話す」ことは逆の人物が「話しかけられる」ことであり、「攻撃する」ことも同時に「敵対される」ことであり、「与えられる」ことも「贈る」ことを含んでいます。

恋愛漫画なら、「モテる」ことは同時に「その人を愛する人がいる」ことでもあるでしょう。『ぽちゃまに』も基本的には、ヒロインによるナレーション(一人称)で進むのですが、作者は他のキャラの立場でも「演技」しつづけていて、それぞれの視点を失うことはありません。だからこそ「イケメンと恋愛してときめく物語」だけではなく、「ぽっちゃりマニアの愛を描く物語」であり、「女友達の友情の物語」にもなるのでしょう。

少女漫画の話が続いたので、『週刊少年ジャンプ』の少年漫画からもひとつのケースを。例えば『キャプテン翼』というサッカー漫画は、卓越したサッカー技術を持った少年が主人公ですが、その彼が「自分より弱い選手を次々と破っていく」漫画かというと、そんな印象で語ることはできない作品です。

主人公とライバル

主人公にライバルが現れるに従い、物語の視点は「強敵である主人公に挑戦するライバルたち」に焦点をしぼっていきます。ライバルたちの視点が強まるということは、「主人公が勝つ物語」は「主人公に負ける物語」となり、「ライバルに挑まれる物語」は「ライバルがくじけず努力する物語」となるでしょう。ライバル一人一人が主役となり、読者にとっての魅力になります。

「主人公が強すぎて面白みがない」というのは、ジャンプ作品への中傷の典型ですが、それは作品の半分の面しか(いえ、もっともっと狭い範囲でしか)語っていない……と言っていいのです。

ちょっとずつに分かれていく視点

泉信行の漫画論は、視点というものが単純ではないこと、しかし単純だと「思われやすい」ことを重視してきた部分があります。前回のお話で「無意識に感じることに、言語化は追いつかない」ことを学んだのも、漫画には「言葉で考える前に、感じ取っている視点」が多いのだと気付くためでした。

特に重要そうなポイントをふたつ強調してみます。

・読者は、目に入るキャラクターすべての視点になりうる
・ひとつの視点に読者のすべてが同化しなくてもよい

漫画は「同じページのコマに、複数のキャラクター」が同時に描かれやすく、ページ内で「二人以上の心理描写」が並ぶのも珍しくない表現です。(一人称の小説のように)「一人の視点だけで描くこと」はむしろ難しい、と考えていいほどに。

複数の視点

必然的に「単一の視点だけで読むこと」も相当困難なはずですが、そうとは意識されにくいようです。これも「思い込みが自覚の邪魔をしている」現象だと言えそうです。

そして「感情移入」や「自己投影」という言葉で視点を語ろうとすると、なぜか「自分の意識をすべて憑依させている」ような前提で考えられやすいということ。

私たちが他者に同調するのは、自分の意識全体ではないですよね。実際は「部分」ごとに同化は働くものです。それは「痛そう」「暑そう」という五感だったり、「おなか空いてそう」「気持ちはわかる」という欲求や感情だったり、「考えは読めた」「同意できる」という理性や思考だったり……。それぞれは断片的です。

「視点」という言葉じたい、目で見る視覚という「五感の一部」を指したものでしかないのに、私たちはまるで「意識や考え方そのものを指す」ように拡大解釈するくらいですから、混乱しやすくて当然かもしれません。

私たちは日常的に、「ちょっとずつ他者と同化してその人を理解し、関係を保っている」ことを思い出していいでしょう。極論すると、「相手の耳が自分の声を聞いたと感じる」ことがなければ、何度も「今の聞いてた?」と確認しないといけないはず。でも私たちは、なぜか「なんとなく」相手の耳が音を感じたとわかってしまうものです。そして「漫画のキャラクターの感覚」も同じく、「漫画内の音を聞いたか、光景を見たかどうか」というレベルで判断するように私たちは「読んで」いるのです。

創作論では「キャラクターへの感情移入が必要」とよく言われますが、実際のところ「キャラがどんな場所から見ているか、どこに進んでいるか」という、「空間の臨場感」や、「動機の方向」を伝えなければ読者は「漫画の世界がそこにある感じ」を想像できない、と言っているようなものです。感覚をちょっとずつ同化させるのは「漫画を読ませる手掛かり」という意味に近く、「主人公のことをまるで自分のように感じさせる」ことを目指すかどうかは、また別のレベルの表現なのです。

ただ、こうした「同化」の断片は無意識に処理されます。そのため意識の領域に上らせることは難しいのでしょう。だからこそ「主人公の視点だけで感想を決めるような言葉」が生まれやすいのだと、私たちは気付くはずです。

次回は「漫画の視点」が実際にどう表現されるのか? ある視点を強めたり、弱めたりという、細やかな演出は可能なのか? その表現技術を「アングルの向き」というキーワードから紐解きます!

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年を取るとよりいっそう色んな登場人物の視点で漫画を読めるようになるのよね

ほほえみ
  • 泉信行さん
  • WRITER

    泉信行

    漫画研究家、ライター。2005年頃から、漫画表現論の研究発表を行う。同人誌『漫画をめくる冒険』上下巻の発行の他、漫画に関する仕事では『マンガ視覚文化論』(水声社)、『藤田和日郎本』『皆川亮二本』(小学館)への寄稿などがある。
    http://d.hatena.ne.jp/izumino/

  • 西島大介さん
  • WRITER

    西島大介

    漫画家。2004年『凹村戦争』でデビュー。『世界の終わりの魔法使い』『すべてがちょっとずつ優しい世界』など作品多数。「月刊IKKI」休刊により未完となった『ディエンビエンフー』が双葉社「月刊アクション」に移籍。完結を目指し『ディエンビエンフー TRUE END』第1巻を2017年8月10日刊行。「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」主任講師も務める。
    https://daisukenishijima.jimdo.com/

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