「ナンパと身体から生まれる視点」/『声をかける』著者・高石宏輔に、海猫沢めろんが聞く

2017/11/24

WRITER海猫沢めろん

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「ナンパと身体から生まれる視点」/『声をかける』著者・高石宏輔に、海猫沢めろんが聞く

日々女性に声をかけ続ける男性の視点で、自意識や異性からの視線・コミュニケーションの問題などについて書かれた書籍『声をかける』(晶文社)。その著者である高石宏輔さんに、Zing!で「ひらめけ!視点塾」を連載中の海猫沢めろんさんがインタビュー。女性に声をかけるナンパという行為にはいろいろなイメージがあると思いますが、高石さんとめろんさんの対話から生まれた「視点を変えるには、意識の置き場、つまり身体の使い方を変えればいいのでは」という気付きは多くの人にとっても新鮮なものだと思います。ぜひ最後までお読みください!


高石くんのナンパは、みんなが思ってるナンパとは全然違う(めろん)

海猫沢めろんさん

海猫沢めろん(以降、めろん):ぼくがコラムを書いているこのZing!は「視点」というものがテーマになっています。高石くんの『声をかける』が面白かったんで、今日はいろいろと聞きたいと思っています。1作目の『あなたは、なぜ、つながれないのか:ラポールと身体知』も、『声もかける』も、両方ともナンパがキーワードですよね。

高石宏輔さん

高石宏輔(以降、高石):そうですね。

海猫沢めろんさん

めろん:でも、高石くんのナンパは、みんなが思ってるナンパとは全然違う。世間的には「ねほりんぱほりん」前にやっていたナンパ師のようなイメージが強いんじゃないかな。チャラくて、こんなのに絶対ついていかないよ、みたいな。ナンパってイメージが悪いですよね。そのノリで読むと、高石くんの書くナンパはそれとはまったく違うものだと思ってて。他にも『ザ・ゲーム 退屈な人生を変える究極のナンパバイブル』って本とかがあるんだけど、ああいうのって人間性が出てないですよね。確率のゲームになっていて。いかにマイナス要因をつくらずにセックスするかは書いてあるけど、内面についての話を全然していない。自己啓発の薄っぺらさに近い。

高石宏輔さん

高石:確かに、ああいうのは自己啓発ですからね。

海猫沢めろんさん

めろん:自己啓発にも、社会学者の鈴木謙介さんが言う「アッパー自己啓発」と「ダウナー自己啓発」があると思う。「アッパー」ていうのは、現世利益が大事。お金、女、成功っていうのがキーワード。でも「ダウナー」は違って、すべてを捨てる、スパンが長い、心の平穏を得る……みたいな。仏教とか宗教に近づくんです。どっちかというと高石さんのナンパ本はダウナー自己啓発に近い。

高石宏輔さん

高石:最近の自己啓発はスピリチュアルな要素が入っているものもありますよね。

海猫沢めろんさん

めろん:たしかに、振り切ってる人は精神の至高性みたいなものを持ち出すんですよね、急に。最初は現世利益にとどまっているのに、精神性の方に行っちゃう。

高石宏輔さん

高石:そうですね。「ダウナー」を志向する人でも「私は自意識や欲求を捨ててます」と言いながら、信者獲得のためにそう見せることを意識して演出しているだけのようにも見えることがあります。ぼくの場合は、捨てたいけど捨てられないというのが実際のところです。

海猫沢めろんさん

めろん:それは本を読んでいても感じたところです。高石さんの『声をかける』を読んだときに、文学っぽいと思ったんですよ。権威だとか高尚だとかではなく。ぼくの中での文学の定義って、リアルな人間の悩みが描かれているものなので。

自己啓発本を、読めるものにするにはどうすればいいかを考えていました(高石)

高石宏輔さん

高石:文学といえば、『声をかける』を書いているときに読み返していた本があって。『罪と罰』とか、プルーストとか、あとは川端康成の『みずうみ』って小説。これ、実はナンパ小説なんです。

海猫沢めろんさん

めろん:えー! 知らなかった。ナンパ小説(笑)。

高石宏輔さん

高石:男性が綺麗な女性のあとをつけてしまうという内容です。最近、新宿の紀伊国屋書店のフェアのなかで、ぼくが好きな文学の中でもナンパ的な側面のある本を並べていったんです。たとえば、ボードレールの『悪の華』にも、「通りすがりの女に」という、声をかけたかった女性のことを描いている詩があります。街ですれ違った女の人に対して「私が愛したであろうきみ、おお、そうと知っていたきみよ!」と思うんです。昔からそういうのが好きなんです。

海猫沢めろんさん

めろん:『声をかける』の「声をかける」行為が世間のナンパと違うなと思ったのは、普通のナンパっていうのは内面を消す方向なんだけど、高石さんのは逆。普通のナンパは「ルーティンに沿ってやればいい」と考えて、対象を個人としてではなく、確率の中の「1」としてしか見ていない。人間性が無視されている、ナンパが嫌われる要因はそこなんだろうな。でも高石さんの『声をかける』を読んでいると、逆なんです。この本の中では、声をかけられる女性は、常に一人の女性として描かれている。確率的に、いっぱいいた中の一人ではない。高石さんが出会って、書いているという感じが伝わる。ただ、そこが難しいなと思ったのが、私小説みたいなものは書いたことすべてが本当の話だと思われてしまう。書き手が「どのくらいウソをついているのか」を、読み手がどのくらい共感を持って受けとるのか。それをメタ意識で見ていないといけない。高石くんは、書いてる時にどういう意識で書いてるのかが気になりました。

高石宏輔さん

高石:自己啓発本を、読めるものにするにはどうすればいいかを考えていました。

海猫沢めろんさん

めろん:というと、今までの自己啓発本は読みづらい、と?

高石宏輔さん

高石:読むのが疲れるんですよね。読んでると、脳がスカスカになっていく感じがして、それで外を歩くと、ものの見え方の解像度が落ちて、怖くなってくるんです。だからずっと小説と交互に読んでいました。自己啓発本を読むと情緒も欠けていくんです。読んでいるだけで、自分の文体のリズムもそうなっていくような気がしました。

海猫沢めろんさん

めろん:なるほど。ちょっと話がそれるけど、ぼくは最近日記を書いてるんですね。それまでは忙しいと、どこか心が乾いてなにも感じなくなってたんですが、日記をつけると、いろんなことが起きていることがわかる。ただの線画だった世界に色が塗られていく。それで世の中の見え方が違って、不思議なんですよね。でも「それは必要なのかな」とも思う。逆に疲れることがある。何もない線画の方が楽でよかったのかもしれない。どっちが本当かわからない。もともと世界に意味なんかない、シンプルに生きたかったらそれでいい。でも……と、そのせめぎ合い自体に疲れる。結局は目の前の楽なことをやってるだけじゃないか、もっと長いスパンでじっくり仕事をしないと……と焦るんです。

高石宏輔さん

高石:ぼくも時々忙しくなると、単純なものの見方になってしまうんです。それを避けるために、なるべく忙しくならないように心がけています。単純なものの見方になると、しんどくなります。生きてる意味がないというように思い始めてしまいます。

海猫沢めろんさん

めろん:ぼくもうつ病だったとき、景色が灰色に見えていた。すべてに意味がない。日常の自分が石みたいな無機物になってる。物理的に重い、という感覚もあった。

高石宏輔さん

高石:忙しいと、情報をカットしないといけない。そっちのほうがいい人もいるかもしれないけど、自分の体の状態をみると、硬くなってしまっています。健康にもよくないなと思うんですよね。

「悲しい」気持ちにどう誘導するか。そのときに、いくつかのスイッチがある(高石)

海猫沢めろんさん

めろん:「自己啓発書を読むとしんどくなる」ということは、それとは違う書き方をしたってことですよね。

高石宏輔さん

高石:はい。読みもの風の、読んでいる人がその人自身の内面に入っていけるような文体にしようと思ったんです。催眠療法をしていたこともあったので、その方法論を文章に落としていくといいんじゃないかと思って試してみました。

海猫沢めろんさん

めろん:なるほど。それはすっと入ってきます。『声をかける』を読んでいて刺さってきた文章を改めて見てみると、だいたい心理描写と身体描写が合体してる。気持ちを書くんじゃなくて、身体について書く。心理を見つめていると、理屈に入り込む。でも体の状態をみると、「自分がこうなっている」という心理を、よりみんなが共感しやすくなるんじゃないかな。それって映画のようなものになっている。映画って行動しか出ない。映画の脚本でより共感を高めるには、言葉によって心理的なものを描写するより、行動を描写する方がリアリティがあるんですよね。

高石宏輔さん

高石:そうですね。それって文章を書くにあたって大切なことなのかなと思っています。「悲しい」と書く、その代わりに何を描くんだという問題。『声をかける』は一人称で描いたんですが、読者を「悲しい」気持ちにどう誘導するか。そのときに、いくつかのスイッチがある。それが身体感覚のときもあれば、そうじゃないときもある。そういうスイッチをどうONにできるかということを考えていました。

海猫沢めろんさん

めろん:なるほど。それはメソッドがある?

高石宏輔さん

高石:催眠誘導のメソッドですね。

海猫沢めろんさん

めろん:催眠誘導は受けたことがあります。身体の確認をしたり、柔らかくしたり、硬くしたり。そういうことなのかな。催眠的ではありますよね。読んでいて、だんだん読者がシンクロしていく。冒頭に主人公が思ってることが書かれるけど、あれがナンパ本だと「これ俺じゃないじゃん」と、反発がすごくある。でも『声をかける』の場合は、自分もこういうことあるな、と受け止められる。人がいっぱいいる所でしゃべれなかったり。しゃべれる人は、そもそも本を読まない気がするし。

ぼく、アニメのキャラの方が好きなんですよ。結婚してるけど(めろん)

海猫沢めろんさん

めろん:読んでいて、すごく刺さるというか、エグられる部分もある。普遍的にみんなが嘘をついている、ということを赤裸々に書いているから。ナンパが成功してセックスをするけど、むしろやりたくなくて、そのシーンが楽しそうじゃない、というのがよく分かる。その感じが共感できる。でも、ぼくはこの主人公が常にナンパ成功してセックスしているときに、ちょっとした違和感があったんですね。やっぱりぼくが本当に求めてるのは別なんだな、と。

高石宏輔さん

高石:別、というのはどういうことですか?

海猫沢めろんさん

めろん:ぼく、アニメのキャラの方が好きなんですよ。結婚してるけど(笑)。崇高なる愛情、アガペーは、二次元を好きだったときの方がある。三次元の人間にはそういうのは湧かない。それは、物がある以上、変化するからってことなんですね。自分が相手に理想を投影してる。すると、相手が変化することへの怒りが出てくる。理想は自分の中にしかないのに、それを他人に求めてしまう。ある時、そのことに気付いたんですよ。人間にこれを求めると、殺してしまうな、と。この前、失恋に関する本を出すから、とインタビューを受けたんです。しゃべればしゃべるほど、インタビュアーがドン引きして「これはホラーだ」と(笑)。自分の中で好き過ぎて、ストーカーになって、好きな人の家の前を5時間くらい毎日パトロールして、何度も電話して。最終的にはその人のおばあさんが出て「いません!」と。すると、おばあさんが悪者に思えてきて、「救い出さなきゃいけない」となる。石を窓に投げたりして、完全にアウト(笑)。客観的に見たら、不審者が家の前にいる、としかならない。でも、ぼくの中では「切ない」んですよ。向こうも「僕のことが好きなはずなのに」と。もう、その子を殺したい、自分の投影したものが崩れるから殺したい、とおかしくなる。そういうのを繰り返すことで、もう無理だと思ったんですよね。

ほとんど「ウルトラマン」みたいな感じで書いてたんです(高石)

海猫沢めろんさん

めろん:『声をかける』の主人公が求めてるものも、同じなんじゃないかと。結局、求めるものが手に入らないと分かってるんじゃないか。女性の思っていることも、本当は高石さんにとっての「こう見えている」というのを投影してるだけであって、本当のところは分からない。それが文章に表れると、エスパー同士の戦いみたい。

高石宏輔さん

高石:その戦いの中にあるのは、主人公にとって「女性、他人とは何か」というものですね。一人を倒したら「また強いやつがいた」となって、最後はその戦いに敗れていきます。「ウルトラマン」みたいなイメージで書いてたんです。戦闘シーンがセックスシーンです。各話の冒頭で「怪獣が現れたぞ!」と街の中がざわつくシーンは、女性と出会って会話をするシーンという。その繰り返しです。

海猫沢めろんさん

めろん:パワーインフレ感があった。「過去に出たあの女性の方が強いんじゃ?」というような。

高石宏輔さん

高石:そうですね。ただ、そういうインフレする女性の強さと、最後に出てくる「悠」って女の子の強さは違うと思っています。主人公が彼女に負けるのを描きたかったんです。終盤については、いろんな意見をもらうんですよね。僕としてはありがたいんですが。めろんさんとしてはどうでした?

海猫沢めろんさん

めろん:最後の女性は他の人と内面がすごく違うし、好き嫌いって、そういうものなんだなと。メンヘラ(編注:もとは「メンタルヘルス」の略から来たとされるネットスラングで、精神的に「病んだ」状態の人を指す。インタビュー収録当時の原意を残すためそのまま掲載している)嫌いな人は嫌いだし、メンヘラ好きな人は、こういう人に惹かれると。

高石宏輔さん

高石:途中まではすごく面白かったけど、途中からは読むに堪えない、という人もいたんです。

海猫沢めろんさん

めろん:それは経験が無いからかも。メンヘラ独特の魅力ってあるじゃないですか。すごい世界観があるじゃないですか。独特の嗅覚というか、狂気に近い。文系の人はメンヘラにすごく惹かれると思う。前半は、平均的な女の子というか。そんなのでいいの? みたいな感じ。もっと何か、ぼくが理解できない角度で怒ってほしいんですよ。だからメンヘラの方に惹かれますよね。完全に超能力だなと。ああいう方がいいですよね。

高石宏輔さん

高石:そうですね。後半はどちらかというと、スピリチュアルな感覚だなと思います。

女性に対する攻撃的な感情と恐怖心が、書き終わったときにすっきりした(高石)

海猫沢めろんさん

めろん:どのくらい本当? というのは聞き方が難しいんですけど。高石くんの他のインタビュー記事を読んでましたが「自分の小説を書いてヘトヘトになった」と。どういう部分?

高石宏輔さん

高石:そうですね。それはめろんさんは分かっていらっしゃるんだろうなと思いますが、『声をかける』に出てくる登場人物はほとんどすべて実在していますし、エピソードもそうです。新しい未体験の話を書くことは、ぼくには難しいと感じました。実際の記憶を、どの角度から書くかという試みでした。その手法で書いたら、はじめは悪口しか書けませんでした。描写を成立させるために、自分が催眠療法を受けているみたいに、記憶の中に入っていきました。入っていきながら、二人称、三人称の視点や、当時より深く集中した一人称の視点でもその出来事を捉えていたのですが、それが大変でした。

海猫沢めろんさん

めろん:それはつまり、嫌なことも思い出して、もう一度傷つくというようなことですね。確かに、ものを見る解像度が高いほど、傷も深い。それを延々やってるとメンタルにクる? 傷口をぐちゃぐちゃにされるみたいな。

高石宏輔さん

高石:キますね。ナンパをしていた頃に入っていくと、苦しくなりました。かなりつらかったです。

海猫沢めろんさん

めろん:でも、ちゃんとそれは向き合ってるということ。適当にごまかしてるとスルー出来る。たぶん、上っ面だけ書けば傷つかない。でも、書いていくことで治療されることもある。小説家の金原ひとみさんのインタビューを昨日読んでいたんですね。彼女の作品ってエキセントリックで、病んでる人が出てくるけど、金原さん自身もそうで。そして「書くことで救われてる」と。高石くんは、書くことで楽になることはある?

高石宏輔さん

高石:楽になりましたね。女性に対する攻撃的な感情と恐怖心が、書き終わったときにすっきりしました。『声をかける』は自分のためだけに書いてたんじゃないかと思います。

自分の中にしかない理想を他人の中に探しにいってるプロセスを書きたかった(高石)

海猫沢めろんさん

めろん:書き終わったあとも、ナンパとかした?

高石宏輔さん

高石:しませんね。『声をかける』の中にある、「声をかけなければ」という強迫的な気持ちもほとんど湧いて来なくなりました。

海猫沢めろんさん

めろん:ナンパっていうのは依存症に近い? ぼく、それが分からないんです。単に人に会いたいとかそういう欲求なんですかね。ナンパによって何が得られる?

高石宏輔さん

高石:そこまで何かを得ようとしていたわけじゃないような気がします。

海猫沢めろんさん

めろん:タバコみたいなもの? ナンパをすることで安心するみたいな。どのプロセスに依存してるのかな。

高石宏輔さん

高石:そうですね。まさに「声をかける」ところですね。

海猫沢めろんさん

めろん:じゃあ「声をかけられたから大丈夫」なのかな。それとも反応?

高石宏輔さん

高石:そうですね……声をかけて話しますよね。話すと、今度はセックスをしないといけない気持ちになります。それに引っ張られるように勝手に口が動いちゃう。それでセックスをして、大した感動がなかったら、落ち着くのと同時に、また声をかけてしまったことへの後悔が出てきます。それで申し訳ない気持ちになって「相手を嫌な気持ちにさせないようにしながら早く帰ろう」みたいになります。

海猫沢めろんさん

めろん:何か怖いな。

高石宏輔さん

高石:ナンパをしていたとき、軽いアルコール依存症でもあったと思います。はじめは酔わないと話せないから、飲んでしまうんです。実際に、アルコール依存症は話すのが苦手な人がなり易いそうです。それから、ナンパのときも、他人と対峙している状態が怖いから、声をかけたら、またすぐ次の、セックスする関係性にいかないと落ち着かないみたいな。そういう強迫的な繰り返しの中で、めろんさんもさっき言われた、自分の中にしかない理想を他人の中に探しにいってるプロセスを書きたかったのかもしれません。それを世の中に出して、他の人もそうなのか、その反応を見て安心したかったんだと思います。

海猫沢めろんさん

めろん:ある意味、自己治療に近いですね。

たぶん、高石さんがやってることって本当はナンパじゃない。フリーコミュニケーションなんですよ(めろん)

海猫沢めろんさん

めろん:目的が「ナンパしてセックスする」じゃなくて、もっと深いつながりで人間の心理を見たいって人います?

高石宏輔さん

高石:他のナンパしている人たちがどうしてるか気になって、いろんなナンパ師たちと会ってみたんですよね。でも、共鳴することはありませんでした。

海猫沢めろんさん

めろん:ナンパの師匠とかいます? 独学?

高石宏輔さん

高石:独学です。

海猫沢めろんさん

めろん:本も読まなかった?

高石宏輔さん

高石:ネットで有名なナンパ塾の情報商材は購入しました。でも、読んでも恥ずかしくて実行できませんでした(笑)。

海猫沢めろんさん

めろん:「Hot-Dog PRESS」を読んだときの少年の反応ですよね(笑)。

高石宏輔さん

高石:こんな話し方していたら人としてダメなんじゃ? という。自分が女性だったら、そう話されたら嫌ですし。ラスコーリニコフ(編注:ドストエフスキーの小説『罪と罰』の主人公)が好きなんですよね。女性もあんな人に出会えたら幸せなんじゃないか、と思い込んでいるようなところがあって。そういう世界を信じ続けていました。ナンパしているときも。あと、ナンパをし始める以前に、ぼくはカウンセリングの訓練を受けてるんですよね。それが大きかったと思います。

海猫沢めろんさん

めろん:前に言ってましたね。

高石宏輔さん

高石:ナンパをし始めたときに参考にしたのは、自己啓発本に書いてるようなコミュニケーションの方法じゃなくて、カウンセリングの訓練で学んだものなんです。同じナンパをするにしても、どういう技術、そしてその技術の歴史をどれだけ参照するかによってやり方は変わると思います。

海猫沢めろんさん

めろん:たぶん、高石さんがやってることって本当はナンパじゃない。フリーコミュニケーションなんですよ。ラベリングがナンパしかないからそう呼ばれるだけで。

高石宏輔さん

高石:とはいえ、僕もいわゆるナンパ、というプロセスは通りました。だんだん慣れてくるとコミュニケーションが自動化されていってしまいます。それから、その自動化されたものを解体していく中に成長のプロセスがあるような気がします。

海猫沢めろんさん

めろん:完全に自動化して、感情が反応しないようにして。

「幸せとは、体験への無批判な没入ではないか」というフレーズは、すごく分かる(めろん)

高石宏輔さん

高石:「ねほりんぱほりん」に出ているようなナンパ師というのは「女はやっぱり信用できない」みたいになりますよね。ナンパ師としては優秀でも、自分を振った女性に「今まで俺が使った金を全部返せ」って言ってしまう人には会ったことがあります。

海猫沢めろんさん

めろん:そういう考え方は、根本にバグがありますよね。高石さんの場合は、一回の出会いで「この人は本物では?」と思うじゃないですか。ナンパ師にはそれがないんじゃないかと思う。それに引っかかる人は他の人にも引っかかる、「俺に引っかかってるようならアウト」みたいな。

高石宏輔さん

高石:そういう人たちも、相手の女性を信用したいと思っていると思うんですよ。「女は結局ナンパにひっかかるんだ」という思い込みと、それが何か許せない思いの両方があるというか。ぼくは好きになった女性がナンパに引っかかったとしてもいいと思うんです。自分が他人を求めるように、女性も他人を求めるというのは大切な事実だと思います。

海猫沢めろんさん

めろん:最初に女の人をどう認識してるかですよね。たぶん、女性を信用できないナンパ師は、女性を試してる気がする。「俺みたいなやつにひっかかるのは偽物だ。見抜いて欲しい」と。でもそれは自己完結しすぎ。ぼくが理想を他人に投影してるのと同じかもしれません。

高石宏輔さん

高石:本当は相手を信用したいんですよね。でも自分だってナンパする、他人に欲望を抱く。でもなぜか女性に対しては、「それが許せない」ってなる。『声をかける』の中盤以降は、主人公がナンパしていることを初めから知っている女性が相手になっていますよね。ナンパ師は、ナンパ師である事実を女性に告白することによって、その女性と向き合って付き合い始めることが多いなと思います。「他の人には声かけてないよ」とか嘘を吐いている場合は難しいと思うんですよね。それはただ相手に好意を持たれるための嘘に過ぎないから。

海猫沢めろんさん

めろん:そこまでして一体何を求めんだって、分からない人がいるかもしれないですね。この本を読んでると、ほとんど修行なんですよ。この修行をすることで自分を高めたいとか書いてる。最初の頃、付き合うわけですよ。それで「俺はこれでいいのか」と自問自答する。刺さったフレーズがいくつかあって。例えば、「幸せとは、体験への無批判な没入ではないか」というフレーズは、すごく分かる。その事実が認識できてるってことは、その状態じゃないのを分かっている。これが幸せだって止まってて、その先に行こうとしない。でもその先は何?ってなる。「俺はこれでいいのか」って。

幸せな人って1回目も1000回目も同じように楽しんでる人じゃないかなって思うんです(めろん)

高石宏輔さん

高石:没入するのも大事ですけど、ぼくはそれってパターン認識能力が欠けてるなとも思うんです。一回ナンパしてセックスしたことを素晴らしいとしても、それが1000回目になったら恥ずかしいことなのではないかと。同じことを1000回してるわけですから。

海猫沢めろんさん

めろん:1000人斬りで思い出すのが、愛人がたくさんいたとされる棋士の米長邦雄さん。“死ぬまでに1000人斬り”を目指して、700人くらいまでは行ったっていう。将棋も、対局を何十万回やるという意味ではある意味、似てるのかも知れません。同じ盤上で同じことやってる。でも毎回違う。そういう見方?

高石宏輔さん

高石:勝ち負けが明確にあるものっていいなと思います。ナンパはセックスしたからって勝ったとか、うまくいったというわけじゃない。1000回やるのが悪いとは思いません。でも1回目と1000回目があまり変わらなかったら悲しいなと思うんです。1000回目がかなり変わってるってなったら、幸せだなって思います。いい感じに過ごしてるんだなって。

海猫沢めろんさん

めろん:そこは異論があって、幸せな人って1回目も1000回目も同じように楽しんでる人じゃないかなって思うんです。パターン認識能力がぶっ壊れてて、「ずっと楽しいです」って同じ失敗を繰り返してる人も、実は幸せなんじゃないか。パチンコだって、毎回同じように負けるのにみんな繰り返しやる。依存症みたいになっても、そのまま生きていってるなら、ある意味幸せかなって思う。高石くんのは右肩上がりのモデルで、それって苦しくなってきませんか。受験勉強みたいで限りない。

高石宏輔さん

高石:多くの人が、そういう繰り返しのなかで生きてるんだろうなとも思うんです。『声をかける』の主人公は秘書の女性に指摘されるまで同じことを繰り返していました。指摘されたときに主人公の繰り返しが止まり始めます。自分のいる繰り返しの外側にいる人間から指摘されたら、繰り返していることを自覚してしまって、その繰り返しができなくなってしまいます。人間はそういう風につながっているように見えます。それをどんどん突き詰めて外側にいるのは神様と呼ぶものなのか、人間をすべて把握した何かになるような気がするんですよね。

視点を変えることで体の使い方が変わる(めろん)

海猫沢めろんさん

めろん:少し話題を変えたいんだけど、『声をかける』には身体性の話もあると思っています。以前、情報社会学者の塚越健司くんが「こないだ高石君に会ったけど、最近棒を回してるみたいです」って話を聞いて。高石くん、武術もやってましたよね?

高石宏輔さん

高石:はい。今もやっています。武術を初めて教えてもらったのが、ナンパをしていた時なんです。

海猫沢めろんさん

めろん:なんで武術を始めたんですか?

高石宏輔さん

高石:教えてくれたのは『あなたは、なぜ、つながれないのか』の編集者さんなんです。彼は、ぼくの下半身の接続が悪いのが、歩く姿を見て分かっていたようなんです。足を上手く使えてない、と。「地に足をつける」とか言うじゃないですか。でも地に足をつけると、それまでのようにはナンパができなくなってしまったんですよね。

海猫沢めろんさん

めろん:地に足がついてナンパできなくなった自分は嫌だった?

高石宏輔さん

高石:そうですね。嫌だし、辛かったです。はじめは強く葛藤しました。頭では自分はナンパができるはずなのに、前のようにかけたいという気持ちにならなくて、踏み出せないんです。その自分を認めるのに時間がかかりました。

海猫沢めろんさん

めろん:それって何でなんでしょうね。武術とか合気道とか、型をやる武術って、身体の解像度を上げていく作業じゃないかと思うんです。「YCAM(山口情報芸術センター)」に行ったとき、ダンサーの勅使川原三郎さんの踊りをスーパースローで撮った映像を観たんです。これがすごくて、身体のパーツがすべて別々に動いている。腕があって指があってそれを動かすにも、肩甲骨から動かすのか、他から動かすのかで違うし。体の感覚って1つのように思えるけど、人によっては細かく別れてる感じがするんです。ぼくも少しだけ暗黒舞踏のワークショップに行ったことがりますが、そこでやるのは目をいろんな所につけるとか。光をいろんな所から当ててみようとか。つまり、視点を変えることで体の使い方が変わるのを意識すること。ぼくらは目がここにあるから、こういう視点で生きてるけど、その位置をずらしていくことで視点が変わる。これは安田登さん(http://eonet.jp/zing/articles/_4101224.html)が言ってるんですが――昔のギリシャでは、「心」があるのは肝臓だったみたいなんですよ。だから「腹が立つ」。それが、だんだん心臓の位置に上がっていって、「ムカつく」。今は脳で、「頭にくる」。意識の座が上がっていった。簡単なことですが、こういうので意識の形が変わってくんじゃないかと。

その人がキモいって言ったのは何なのかと考え始める。そうすると見えてくるものがある(高石)

海猫沢めろんさん

めろん:Zing! の連載「ひらめけ!視点塾」を続けてきたけど、「子供」や「周回」「遊び」ってテーマが共通してるんです。面白いのが、『声をかける』でも、ループ(「周回」)して、ナンパという「遊び」もするんだけど、「子供」のころの話を急に思い出すじゃないですか。ここで気になったのは、なぜかスピリチュアルの話って子供の話をしますよね。子供の頃の自分に会いに行って、それを癒やすというのを、必ずやる。高石さんの小説も急に子供に戻ったりする。あれは何なんですかね?

高石宏輔さん

高石:小説でもそういうの多くないですか? 僕がそういう発想をしてしまうのは、普段カウンセリングをしてるからかなと思います。

海猫沢めろんさん

めろん:なるほど。さらに不思議だったのは、最後に出会う女の子もやはり子供時代がキーワードになってることです。

高石宏輔さん

高石:子供時代を思い出すというよりは、子供になるというのが近いかもしれません。

海猫沢めろんさん

めろん:子供になってる?

高石宏輔さん

高石:明らかにしゃべり方が変わるんです。さっきまで「はい」って言ってた人が「うん」って言い始めたりするんですよ。声色も全然変わって。そのときに年齢退行したな、って僕は捉えます。

海猫沢めろんさん

めろん:何ででしょうね。子供時代じゃなくても、5年前でもいいわけじゃないですか。

高石宏輔さん

高石:何ででしょうね。子供時代が多いですね。

海猫沢めろんさん

めろん:基本的には思い残しとか、心が完成されてない時代に傷ついた、その心をもう一度作り直すみたいなことをしてるのかな。自分ではどういう認識ですか?

高石宏輔さん

高石:認識の「型」がそこでできているんだと思います。

海猫沢めろんさん

めろん:それを変えることは可能なんですか?

高石宏輔さん

高石:変えるというよりは、それを認識して、客観視し始めることは可能だと思います。ナンパしていたときに、ふと自分が幼い頃の祖母と母との出来事をふと夢で見たり、思い出したりしていたんですよね。その関係性が、そのとき出会っていた女性との関係性に似ていたりして。自分がそういう型を繰り返してきていることに気がついたときに楽になりましたね。

海猫沢めろんさん

めろん:楽になるというのは、客観視する自分ができた瞬間に、ですか?

高石宏輔さん

高石:そうですね。自分の他人との関係性を、外から見る視点が生まれたということでしょうか。

海猫沢めろんさん

めろん:「視点が生まれた」というのはすごく分かる。視点が生まれることで「フッと楽になる」ということですよね。

高石宏輔さん

高石:そうですね。「まあいっか」と思えるんですよね。

海猫沢めろんさん

めろん:国語の先生がいうような「視点を持つと世界が広くなる」みたいなことって抽象的で良くわからなかったけど、今日の話は具体的で「視点ってそういうことか」と再認識しました。聞けてよかった。なかなかない視点です。

高石宏輔さん

高石:ぼくは自分がそれを求めてるのかな、と思うんですよね。武術でも、先生と組んでやると、先生のほうが強いわけです。そこには先生の視点があるんですよ。「何でここでやられちゃうんだろう」と思うけど、先生にちょこっと指導してもらうだけで自分の動きが変わるんです。それって視点を与えられたってことじゃないかなと思うんです。

海猫沢めろんさん

めろん:視点というのは、移動させたり、複数化させたり、いろいろありますが、いま言ったことは相手の視点を自分にフィードバックする、取り入れることで、もう一つ視点ができるということですね。スポーツ理論の話で読んだことがあるんですけど、バッティングの指導をする場合に「ボールをよく見てください」って言うよりも、意識を違うところ向けさせるらしいんですね。これはTECHTILEの『触楽入門』にあったんだけど、前屈できない人が、肩を人に払ってもらうとできるようになる。人に触れられることで、意識が別に移る。それによって体が変わる。それに近いですよね。でもナンパって、人の視線を浴びるじゃないですか。声をかけた瞬間に分かる。そうして間違った視点をインストールされることはない? 「キモい」って罵倒されたり。

高石宏輔さん

高石:そういうときは傷つきますよね。でも、その人からしたら、自分にキモい部分があるのを認めなきゃいけない。それは事実なので。その次には、その人がキモいって言ったのはその人のどういう考えからなのかと考えます。そうすると、相手と自分、そして二人の関係性から見えてくるものがあるんですよね。そうやって省みることで、インストールされた視点を消化しているような気がします。

海猫沢めろんさん

めろん:今日話を聞いて、高石さんにとって人と深く向き合う方法がたまたまナンパだったんじゃないかと感じました。あらゆるナンパの中には自分と他人を真剣に見つめなきゃいけない要素が必ずあって、それと向き合うかどうかなんでしょうね。高石さんの視点を借りて別の世界が見えた気がします。ありがとうございました。

  • 海猫沢めろんさん
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    海猫沢めろん

    高校卒業後、紆余曲折を経て上京。文筆業に。『左巻キ式ラストリゾート』でデビュー。『愛についての感じ』で第33回野間文芸新人賞候補。他に『零式』、『全滅脳フューチャー!!!』、『ニコニコ時給800円』 、『夏の方舟』などがある。小説以外でも、エッセイ『頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン』、ルポ『明日、機械がヒトになる ルポ最新科学』など多数。 ボードゲーム、カードゲームなどのアナログゲームを製作するユニット「RAMCLEAR」代表。

  • 高石宏輔さん
  • PROFILE

    高石 宏輔 (たかいし ひろすけ)

    1980年生まれ。慶應義塾大学文学部仏文専攻中退。在学中よりカウンセリングのトレーニングを受け、セミナー講師を務める。スカウトマンを経てカウンセラーとして活動を開始。クライアントからの要望により、路上ナンパ講習も始める。著書に『あなたは、なぜ、つながれないのか──ラポールと身体知』(春秋社)、共著に『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(KADOKAWA/中経出版 )。

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