天満天神繁昌亭 eo光寄席

イベントレポート

さる7月7日(土)、天満天神繁昌亭にて「第八回天満天神繁昌亭 eo光寄席」が開催されました。 終始笑いと拍手の連続で、無事大盛況のうちに終わりました。みなさんにご満足いただけたようで、何よりです。 当日の模様をイベントレポートにまとめましたので、ぜひご覧ください。

「第八回eo光寄席」出演者および演目

演目と出演順「動物園」露の瑞「粗忽長屋」桂雀太「代書」桂福楽(中入り)「電話の散財」林家染太「まんじゅう怖い」笑福亭松喬

中トリにつきましては、当初、桂春蝶さんを予定しておりましたが、七夕前後の豪雨による交通事情悪化のため、
急遽、桂福楽さんの代演となりました。





  • 露の瑞

    開口一番は、露の瑞(みずほ)さん

    2013年 (平成25年) 2月24日、女流の第一人者、露の都に入門四番弟子。もう6年目。名門・京都女子大学卒。「みなさまにずっとかわいがって頂ける、ほがらかな落語家を目指します!!」

    演目は『動物園』

    「動物園」の元ネタは外国のジョーク。明治の末に二代目桂文之助が落語に仕立てたと言われる。近年は桂雀々や二代目桂南天が得意とし、東京でも演じられている。本来が外国ネタということもあり、二代目桂枝雀により英語に、笑福亭銀瓶によって韓国語に、三代目桂歌之助がイタリア語に、それぞれ訳されて好評。噺の主人公は、朝が弱く力仕事が苦手で口下手なため、仕事勤めが続かない男。ある日、午前10時出勤で、何も持たず、しゃべる必要もなく、昼食・昼寝付き1日1万円という好条件に飛びついた現場は移動動物園。園長は展示の目玉の虎が死んでしまったため、残った毛皮をかぶって虎になりすませ、という。さて、そんなことができるのか?!


  • 桂 雀太

    二番手は、桂 雀太(じゃくた)さん

    桂雀太さんは奈良県五條市出身の41歳。関西大学卒業後、2002年に桂雀三郎さんの門を叩きます。2005年よりほぼ毎週、自宅で収録したラジオ番組を公式サイトにて無料で配信したり、寄席以外の会場を自ら探して、銭湯や洋服屋の倉庫などでも、数多くの落語会を開催しています。芸風は大師匠にあたる桂枝雀さんにそっくりと評判ですが、実は、本人は一度も枝雀師匠の高座を見たことがないと語ります。これも、なにかしら落語家一門の縁と言えそうですね。積極な活動のおかげもあって、2016年NHK新人落語大賞。17年には咲くやこの花賞を受賞。一気に全国の注目を集めました。まさに伸び盛り。「ぜひ、いま、観たい!」そんな期待の大きい噺家さんの一人でしょう。

    演目は『粗忽(そこつ)長屋』

    演目の「粗忽長屋」は東京ではおなじみの話。浅草観音詣にやってきた八五郎が道端の人だかりをのぞくと、そこには身元不明の行き倒れが。八五郎は死人の顔を見るなり「こいつは同じ長屋の熊五郎だ」と。「今朝こいつは体調が悪いと言っていた」と言い出す。役人たちは「この行き倒れが死んだのは昨晩だから、今朝会ったというお前の友達は別人だ」と。八五郎は「熊五郎本人を連れてくる」と言い残してその場を去る。

    急いで長屋に戻った八五郎は、熊五郎をつかまえて「浅草寺の近くでお前が死んでいたよ」と告げる。熊五郎は「俺は生きている」と反論するが、「お前は粗忽者だから自分が死んだことにも気付かないんだ」と八五郎に無理やり言いくるめられて……


  • 桂 福楽

    中トリは、桂 福楽(ふくらく)さん

    中入り前は、桂福楽さん。1959年(昭和34年)東大阪市生まれ。大阪芸術大学在籍中の79年に、四代目桂福団治師匠に入門。難解な古典落語の言葉や風習を分りやすく、オチも現代に通じるようにアレンジしたり、91年に初めて服を着て椅子席での新作落語に挑戦。99年には「大阪文化祭賞」奨励賞を受賞。福楽襲名は2004年。長らく続けてきた落語会「福楽の底力」(毎月開催の独演会)を軸に、さらなる活躍が期待されます。

    演目は『代書』

    昭和10年代に四代目桂米團治が創作した新作落語。江戸落語でも人気があり、上方では、すでに古典のようにしばしば演じられます。大阪市東成区今里の自宅で一般代書人の事務所を開いていた米團治が、自らの経験を元に書き下ろしました。

    読み書きのできない男が履歴書の代筆を依頼にやってくる。名前の漢字は、と問われて「お任せします」。生年月日も「そういうもんはなかったように思う」と答え、代書屋をことごとく困らせる。大ボケで、また、些細なことばかり熱心に語るやりとりに爆笑が続きます。


  • 林家 染太

    中入り明けは、林家 染太(そめた)さん

    愛媛県松山市出身の42歳。大学名誉教授の父と薬剤師の母のもと長男として生まれました。ちょっと異色ですね。関西大学の落語研究会に所属するかたわら、英会話学校「HOEインターナショナル」で英語落語を学びます。卒業後、2000年に四代目林家染丸に入門。とにかく底抜けに明るく楽しいのが染太さんの持ち味。また、英語落語では、シアトル国際フェスティバル、エディンバラ国際フェスティバル、ジャパンウィーク スペイン公演(スペイン語落語)、ニューヨークオフブロードウェイ公演、ロンドン公演、バンクーバー公演など世界各国で英語落語独演会を開き、好評を得ています。日本でも各地のコンサートホール、劇場、小中高の学校公演、そして、ECC、関西大学、慶応義塾大学、大阪大学、同志社大、スタンフォード大学などで英語落語の講義と公演を行っています。若手の注目株です。

    演目は『電話の散財』

    大店では道楽者の息子に手を焼くというのが通り相場なのに、こちらは真面目一方の息子が茶屋通いに明け暮れる大旦那を持て余している。今日も「しばらく家から出てくださるな」と言い残して出かけた、その隙を縫って、旦那はミナミの馴染み芸者を訪ねようとする。番頭は「若旦那からきつく言われているので、どうぞ今日のところはお出ましにならんように。ここはひとつ、電話で散財されてはいかがです」電話口に芸者を呼び、ご陽気に歌わせ騒ごうというのだけれど……


  • 笑福亭 松喬

    大トリは、笑福亭 松喬(しょきょう)さん

    兵庫県西宮市出身。57歳。祖父は落語好きで「たらちね」を語り、母は文楽好きでした。そんな縁で幼少から落語に興味を持ち、初めて落語を聴いたのは中学2年の時、深夜ラジオから流れる「初天神」とか。大阪産業大学在学中は週に2回は落語会に足を運んだとも。卒業後の1983年に笑福亭鶴三(かくざ、のちの六代目笑福亭松喬)に弟子入り。当初は笑福亭笑三(しょうざ)を名乗りました。2008年からは母校の客員講師を務めています。

    1988年「第9回ABC漫才落語新人コンクール」落語部門最優秀新人賞。2005年「第34回上方お笑い大賞」最優秀技能賞。同年「第60回文化庁芸術祭」優秀賞。2007年「繁昌亭大賞」などなど華やかな受賞歴。人柄の良さ。熱心な芸風、愛すべき「くまのプーさん」のような風貌。満を持して、2017年大阪松竹座で笑福亭の名跡七代目松喬を襲名しました。まさに名実ともに上方落語の大看板です。

    演目は『まんじゅう恐い』

    古典の中の古典です。原話をたどれば、中国の宋や明の時代にまでさかのぼると言われます。暇をもてあました町の者が集まり、それぞれ嫌いなもの、怖いものを言いあっていく。「クモ」「ヘビ」「アリ」などと言い合う中にひとり、「いい若い者がくだらないものを怖がるとは情けない。世の中に怖いものなどあるものか」とうそぶく男がいる。他の男が「本当に怖いものはないのか」と聞くと、うそぶいていた男はしぶしぶ「本当はある」と白状する。「では、何が嫌いなのか」と念を押され、男は小声で「まんじゅう」とつぶやく……おなじみの一席で上方落語の真髄を。



これまでのイベントレポート

これまでに開催された「eo光寄席」の様子はこちらをご覧ください。

アクセス

天満天神繁昌亭の地図

天満天神繁昌亭への地図

天満天神繁昌亭へは

  • 地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」4-B出口から徒歩3分
  • JR東西線「大阪天満宮駅」3出口から徒歩3分
  • 地下鉄堺筋線「扇町駅」4番出口から徒歩10分
  • JR「天満駅」から徒歩15分

※自動車・自転車でのご来場はお控えください。

天満天神繁昌亭とは?

天満天神繁昌亭外観

天満天神繁昌亭は、2006年9月15日に開席した、日本で唯一となる落語専門の定席(毎日公演している小屋)です。戦後、上方落語専門の寄席は、ひとつ残らず消失してしまいました。4軒の定席が毎日賑わう東京に対して、大阪には、落語家たちが一門や事務所の垣根を越えて交流できる環境がありませんでした。

2003年、上方落語協会会長に就任した桂三枝(現・六代 桂文枝)は、そんな状況を変えるべく定席の建設に尽力しました。そして、地元の人々の協力や落語を愛する人々からの寄付金もあって、天満天神繁昌亭の建設が実現しました。 実に60年ぶりとなる、上方落語の定席の復活でした。

座席数は1階・2階を合わせて216席。週替わりの昼席公演と、日替わりの夜席公演を、毎日休むことなく(毎年、9月の第1土・日曜日に生國魂神社で開催している上方落語家ファン感謝デー『彦八まつり』の日のみ休館)行っています。

繁昌亭 公式サイトはこちら

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