【視れば揺らぐこの宇宙】第3回 あなたの価値はあなたが決められる--『アリスと蔵六』の視点(2)

2017/09/06

WRITER吉田 隆一

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【視れば揺らぐこの宇宙】第3回 あなたの価値はあなたが決められる--『アリスと蔵六』の視点

紗名は自分が人間の「にせもの」であると考えています。「にせもの」ではあっても自分の中に生じる感情……彼女はそれを「モシャモシャする」という言い回しで表現しますが、そのモシャモシャを否定できません。そしてモシャモシャする自分についてこう考えたのです。

『アリスと蔵六』5巻142ページ。©今井哲也/徳間書店

『アリスと蔵六』5巻143ページ。©今井哲也/徳間書店

『アリスと蔵六』5巻144ページ。©今井哲也/徳間書店

『アリスと蔵六』5巻145ページ。©今井哲也/徳間書店

『アリスと蔵六』5巻146ページ。©今井哲也/徳間書店

『アリスと蔵六』5巻142~146ページ。©今井哲也/徳間書店

「自分は……本当はべつに居なくてもいいものなのかもしれない」
「”ワンダーランド”が知りたいのはたぶん 外の世界とか 本物の……人間とかで 私は そのまねっこなんだ」
「”ワンダーランド”は私のことを通して テレビみたいに外の世界のことを見てる」
「けど……それなら私ってものはなんでもよくて ただそこにいればいいだけなんじゃないか」
「私が感じてるこのモシャモシャも本当の人間のモシャモシャとくらべたら全部にせものだから べつに なくてもいい どうでもいいものなのかもしれない」
「証拠なんてないんだ でも いるんだ 私には」
「だから いるって言いはることにしてるんだ」

この台詞は、やはり「アリスの夢」となったことを悩む少女・羽鳥に向けた言葉です。羽鳥は小学校受験に失敗したことで親の期待に答えられなかったことを悔やみ、同時に、自分が親の傀儡であるような悲しみに捉えられています。シミュレートにより、いわば人間の肉体を持った人工知能としてワンダーランドから生み出された紗名は、羽鳥の悩みと自分の悩みが似た「傀儡の悩み」である、と理解するのです。そして二人の会話によって、「ほんもの」と「にせもの」の差異は存在しないという結論が導き出されるのです。言い換えればそれは、人工知能と人間の間に差異は存在しないということでもあります。

この数ページは本当に凄いです。現代SFが提示したビジョンが、日常を生きる我々が持つ普遍的な悩みへの解答となっています。自身の生に悩む我々に、SFの視点から居場所を示してくれているのです。

「ほんもの」や魂のような特別なものはどこにも存在しない。
だからあなたの価値はあなたが決めればいい。あなたはそこに居ていい。

……と。

SFには「現実の問題の可視化」という機能もあります。現実と切り離した極端な状況を設定することで、現実の問題を客観化するのです。
本作においてこの数ページは、そうしたSFの機能を遺憾なく発揮しています。それもマンガでしか描けない方法でです。当該ページ(『アリスと蔵六』第5巻142前後)を参照してください。紗名の言葉を聞く羽鳥の連想の表現は、文章表現を挟まずに描けるマンガならではの表現です。

SFは、SFという言葉がまだ存在しない時代に描かれた作品から現代に至るまで、常に巨視的なビジョンを提示してきました。古くはH.G.ウエルズが生み出した荒唐無稽なタイムマシン、あるいはジューヌ・ヴェルヌが生み出した、将来可能となるであろう様々な技術。これらはいずれも思考実験の材となり、思いも寄らない視点から世界を見る方法を人々に提案したのです。
ここでいう「世界」とは、遥か未来とは限りません。今、私たちが生きるこの世界に対して違う視点を提供するのもSFの機能です。
その意味において『アリスと蔵六』はSFの王道です。子供が成長に伴って感じる不安……世界と大人に対する関係の不安を、サイバーパンク以降の価値観と結びつけて語り、なおかつ読者に「生きていく勇気」を与えてくれるのです。これは凄いことではないでしょうか。

本作のテーマはそれだけではありません。例えば「境界の曖昧さ」です。『ぼくらのよあけ』でも提示される生と死の境界というテーマも、本作においてより深く追求されます。人間がコピー可能ならば生死の境界も極めて曖昧となる、というように。
肉体も精神もコピー可能であり、その意味においては人間は特別な存在ではない、という認識が本作からは読み取れます。なので紗名が「言いはることにしてる」ように、自分の価値はやはり自分で決めるしかありません。そのようにして自分の価値を信じられれば、特別な存在でなくとも尊厳は貶められないと、この物語は訴えかけてきます。

人間はコピー可能、という認識に関連してですが……肉体は精神を収めるハードウェアに過ぎないという認識は、「桶の中の脳」という思考実験もあるようにSFの文脈以外にもあります。しかしそうした認識は、古くはサイボーグ化など脳髄の置換という形で、サイバーパンク以降は精神のデータ化という形でSFが普及させたものと言えるでしょう。例えば近年ではアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』での描かれ方があります。『まどか』もまたサイバーパンク以降のSFの様々なテーマが交錯する傑作アニメですが、作中における魔法少女とは、肉体と精神を切り離された存在として描かれています。
そして何より、本連載第2回で述べたように、市川春子『宝石の国』にはそうした認識が前提として存在します。

本稿冒頭で「『宝石の国』と『アリスと蔵六』は、いわば鏡あわせのような作品」と述べましたが、この二作品の差異はなんでしょう。それは「生物としての肉体の存在」と「社会」 です。

『アリスと蔵六』は現代の、人間の社会を舞台としています。肉体の生理と、それに左右される精神の在り様が極めて重要です。紗名と蔵六をはじめとする登場人物たちの交感、いわば「愛」を描くためには外部から挿入される様々な制約との折り合いが意味を持つのです。そして読者は、作品の世界観が自身の日常と地続きであることを実感させられます。
「愛と変化」を純粋に観察する『宝石の国』、同じテーマを現実とリンクさせて語る『アリスと蔵六』……というように、視点が異なる二作品なのです。

『宝石の国』において重要なテーマである「変化」は、今井氏の作品においても『アリスと蔵六』以前から重要なテーマとして扱われています。例えば『ぼくらのよあけ』において異星の知性体は他の知性体の「変化」を観察するために人工知能を宇宙に送り出すのです。
また、『魔法少女まどか☆マギカ アンソロジーコミック 4』(芳文社)に今井哲也氏が寄稿した『見滝原アンティークショップ』と題された短編の短編の主軸もやはり、魔法少女である巴マミの変化です。先に述べたような魔法少女の在り様を考えると『ぼくらのよあけ』と『アリスと蔵六』を繋ぐ作品としても興味深い作品です。

「愛と変化」を描く上で、二人のマンガ家がSFとマンガという手法を選んだのは決して偶然ではないでしょう。マンガという視覚メディアを用いているからこそ、読者に直感的に伝わる感覚があるのです。

『アリスと蔵六』は現代SFの、日本におけるローカリゼーションの最良のケースです。先に述べたように、イーガンなどが提示した認識を、マンガという手法を用いて我々の日常生活とリンクさせて描いています。

そして本作には、ここまで説明した他にも現代SFにリンクした多くのテーマが内包されています。例えば80年代以降のSFにおいてスタンダードなテーマである量子論を扱ったSFとしての側面も持っています。
量子論SFは、量子力学がもたらした世界認識を用いて、この宇宙を「観る」ことで揺らがせます。本連載のタイトル「視れば揺らぐこの宇宙」も量子論SFに由来しています。
『アリスと蔵六』もまた世界を書き換え、揺らがせる描写があります。それは例えばイーガン『宇宙消失』(創元SF文庫)などとも共通するテーマなのですが……いずれにせよ物語はまだ完結していません。その全容はこれから解き明かされていくものと思われます。

『アリスと蔵六』は、やはり『宝石の国』同様に「ブレードランナー以後」のSFです。
自己を規定できず、その存在が揺らぎ続けるニューウェーヴSFの血脈です。
そして本作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が提示した問題に対し、鮮やかな解答もみせてくれるのです。今回はその解答である蔵六のセリフで〆ましょう。

『アリスと蔵六』第2巻84ページより。©今井哲也/徳間書店

『アリスと蔵六』第2巻84ページより。©今井哲也/徳間書店

「お前さんが人じゃなかったとして それが何なんだ?」

次回は、趣向を変えてアニメ第3期の放映が決定した登山マンガ『ヤマノススメ 』をとり上げます。

『アリスと蔵六』はかわいいけどハードSFでもあり泣けるし良い作品よね

なるほど
  • 吉田 隆一さん
  • WRITER

    吉田 隆一(よしだりゅういち)


    1971年、東京生まれ。バリトンサックス奏者。”SF+フリージャズ”トリオ『blacksheep』などで活動。アニメ、SFに造詣が深く、雑誌やミニコミ誌等に論考やレビューを発表している。最新アルバムはblacksheep『+ -Beast-』(VELVETSUN PRODUCTS)

    Ryuichi Yoshida Official Web:http://yoshidaryuichi.com/

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