【視れば揺らぐこの宇宙】第4回 一歩踏み出して見える世界--『ヤマノススメ』の視点

2017/10/10

WRITER吉田隆一

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【視れば揺らぐこの宇宙】第4回 一歩踏み出して見える世界--『ヤマノススメ』の視点

連載4回目です。今回はSFから離れて、しろ氏による登山マンガ『ヤマノススメ』についてのお話です。

名著の多い「登山」をテーマにした読み物・マンガ

登山は、フィクション・ノンフィクション問わず読み物の古典的テーマの一つです。ガイド本はもとより、登山記録や紀行文の中には名著と呼ばれるものも少なくありません。
例えば深田久弥『日本百名山』は、多くの方が書名と知らずに耳にしているのではないでしょうか。またドラマや映画化もされている新田次郎氏による登山小説も有名でしょう(余談ですが筆者はmixi新田次郎コミュニティの管理人です)。
また日本における単独行登山のパイオニアであり、新田次郎『孤高の人』のモデルとしても知られる加藤文太郎氏の随筆・日記を収録した遺稿集『単独行』のように、知る人ぞ知る名著もあります。
もちろん海外の名著は数知れません。また冒険小説や映画において山岳を舞台にし、登山を描いた作品も多くあります。

では登山マンガはどうでしょうか。

筆者の登山マンガとの出会いは、塀内夏子氏が「塀内真人」名義で発表した『おれたちの頂』(講談社/1984年)でした。「週刊少年マガジン」連載時に読み、登場人物の魅力とハードな物語展開に感動しました。
さらに遡ると、小山田いく『すくらっぷ・ブック』(秋田書店/1980年~1982年)の第18話『妖精館』で描かれた奥穂高を舞台にしたエピソードが原体験ともいえます。作品自体は登山がテーマではないので厳密には登山マンガではないのですが、このエピソードには長野県人である小山田いく氏の山への想いが感じられます。登山の厳しさ、山の美しさが描かれた素晴らしい「登山回」です。
こうした出会いにより筆者は登山マンガ、もしくは作中に登山の描写のあるマンガを好んで読むようになりました。

少年・青年向け登山マンガは多くあります。近年であれば映画化もされた石塚真一『』(小学館)が有名でしょう。村上もとか『岳人列伝』(講談社)は古典として読み継がれる傑作です。
少女マンガであれば、ある世代以降ならば庄治陽子『生徒諸君!』(講談社)の登場人物、ワンダーフォーゲル部所属の沖田くんを思い浮かべる方もいるでしょう。しかしながら少女マンガでは登山を主軸とした作品はさほどありません。

『ヤマノススメ』は「ゆるふわハード登山マンガ」

本題に入りましょう。
『ヤマノススメ』は、登山を趣味とするしろ氏による登山同人誌を源流とするマンガです。現在コミック・アーススターにて連載中で、単行本は2017年9月の時点で14巻まで刊行されています。イラストレーターである氏にとって初の商業連載作品となります。
2013年に5分アニメとして、2014年に15分アニメとして2期にわたりアニメ化されています。2017年秋にOVA発売&イベント上映が、2018年にはアニメ第3期の放映が予定されています。

引っ込み思案の登山初心者あおいと、アクティヴでアウトドア志向のひなたという幼馴染の女の子同士が高校で再会し、幼い頃に約束した山を目指すことから物語が始まります。

本作は、先行する多くの登山マンガとは異なる視点で登山が描かれています。その最大の特徴は、「登山ハウツーとドラマのハイブリット」であることです。

登山に関するマンガを大雑把に分類すると、登山を主軸とした人間ドラマを描くマンガと、入門書としての役割を持つ登山ハウツーマンガとに分けられるでしょう。ここまで題名を挙げた様々な登山フィクション作品は全て人間のドラマを描いています。登山ハウツーマンガにはエッセイ的なノンフィクションも含まれます。

しかし『ヤマノススメ』は、タイトルから連想される登山入門書=ハウツーマンガであると同時に、繊細な人間ドラマを描いています。それも、ハウツーマンガの登場人物にそれらしくドラマ性を与えているようなレベルではありません。

SFの世界には「ハードSF」という言葉があります。「本格的なSF」を表す意味合いでも用いられますが、狭義には「科学考証が綿密に行われており、その考証が物語と分かちがたい構造を持つSF」を指しています(決して「ハードな内容のSF」「ハードな読み応えのSF」という意味ではないのですが、そんなニュアンスでも使われていますね……)。
そうした意味で『ヤマノススメ』は、ゆるふわな空気感のマンガであるにも関わらず「ハード登山マンガ」と呼ぶべき構造を持っています。「ゆるふわハード登山マンガ」……なんだか不思議ですね。

『ヤマノススメ』では、登山における道具選びや登山計画が、物語及び登場人物の心理と分かちがたく存在しています。そして目指す山が日常生活の延長である近所の低山へのハイキングであっても、登るのならばその行為は登山であるという認識も常に描かれています。
人間の意識というソフトウェア、それを支えるハードウェア、事前に練らなければならない登山計画……どんなレベルの山であってもその全てに目を配り、バランスを意識しなければなりません。そうした相互に関連する複数の要素を一つ一つ丁寧に描くことで、ゆるふわかつ生活に密着したリアルな登山マンガ……「ゆるふわハード登山マンガ」が成立するのです。

珍しい「ゆるふわ『ハードウェア』登山マンガ」

もう一つの特徴は作中の主要人物が皆、中学生・高校生の少女である点です。みな年齢相応の悩みを抱えており、作中では彼女たちの感情の機微が見事に描かれています。
本作では、登場人物相互の思いやりが非常に印象的です。優しく繊細な彼女たちが、他者と山との関わりにより少しづつ互いを理解し、なにより自分自身を理解していく過程が物語を推進させる力となっています。
本作ではいわゆる「団結」のようなものは描かれません。例えば登場人物の一人、かえでは「単独行」を旨とします。あおいやひなたと知り合い、一緒に登山を行いますが単独行そのものをやめるわけではありません。中学生のここなはいわゆる「山ガール」的な一見ふわふわした子ですが、それは彼女が自分のペースを守っているからそう見えるのであり、実際には芯が強くさりげない気遣いができる少女です。ほのかは「山岳写真」を求道的に撮影する中二病的クールかつボーイッシュな少女で、やはりマイペースです。そんな登場人物たちが自分のペースをしっかり保ちつつ、あるいは保とうとしながらパーティを組み、互いの均衡点を探っていくのです(……こうして見ると「単独行」「山ガール」「山岳写真」と、登山に対する様々なスタンスが上手く網羅されている点も素晴らしいですね)。
彼女たちは互いを尊重し、何かを強要したりはしません。しかし相手の心に踏み込まねばならない時には遠慮なく踏み込みます。登山という行為が互いの距離感のバランス、気遣いと気楽さのバランスを彼女たちに見出させるのです。
そしてなにより本作を特徴付けているのが、こうした心理描写が登山ハウツーと密接に関わっている点です。

筆者は谷甲州『航空宇宙軍史・完全版』巻末解説において「ハードウェアSF」という言葉を使っております。ハードSFの中でも特に、ハードウェアにまつわる設定・描写が緻密で、登場人物やドラマと等価なSFというような意味合いです。戦術に合わせたハードウェア開発、あるいは用いるハードウェアの特性により戦術が決定したりといった状況設定と、それを実際に現場で運用する人間の心理と判断がドラマを生むのです。
『ヤマノススメ』はまさしく「ハードウェア登山マンガ」です。雑誌『山と渓谷』2012年11月号掲載の作者インタビューによれば、掲載誌の読者層を鑑みガジェット系=山道具の話題をたくさん入れるようにしたとのことです。その上でドラマを丁寧に描いた結果、ハウツー的なハードウェア描写が、ゆるふわかつ繊細な心理とドラマを描写するためのガジェットとして機能することになったのです。こんな登山フィクションはなかなかありません。
……そうですね。先に述べた「ゆるふわハード登山マンガ」という表現だとなんだか不思議な感じですので、「ゆるふわハードウェア登山マンガ」というのはどうでしょう。うーん、ちょっと長いですね。

【視れば揺らぐこの宇宙】第4回 一歩踏み出して見える世界--『ヤマノススメ』の視点-画像-01

【視れば揺らぐこの宇宙】第4回 一歩踏み出して見える世界--『ヤマノススメ』の視点-画像-02

『ヤマノススメ』10巻 P.160-161
©しろ/アース・スター エンターテイメント

「なぜ人は山に登るのか?」答えは自分で登山すればわかる

日常と登山というテーマ性を持つ本作ですので、必ずしも登山を行うエピソードだけではありません。アルバイトや買い物、料理といった日常が登山という非日常と地続きであることが随所で描かれています。
地続き……そう、文字通り地続きですね。作中、登場人物はよく地元の低山「天覧山」を登ります。あおいとひなたが最初に登る山も天覧山ですので、生活する街、日常と直結した山から物語が始まるのも象徴的です。登山に対して読者を身構えさせない工夫であると同時に、地続きではあっても日常と非日常のボーダーがそこに存在することをさりげなく伝えています。
そして、アニメ版においてもマンガのそうした意図がしっかり描かれています。

アニメ版は原作のエピソードを踏まえ、見事なアレンジが施されています。スタッフは事前に作中に登場する山を実際に登ったそうです。その体験を踏まえているためか全編にわたり描写に説得力があります。作中の時間やシチュエーションの細部を変更した富士山登山のエピソードなど、しろ氏の単行本コラムとリンクしたアレンジも印象的です。
美しい背景美術、アニメならではの心理描写……セリフやモノローグを用いず、表情の変化だけで複雑な心理を描くなど、非常に丁寧な作品となっています。

アニメオリジナルのエピソードも、原作の「ハウツー+ドラマ」の感覚を見事に踏襲しています。
印象的なのがアニメ第二期『ヤマノススメ セカンドシーズン』第7話『カワノススメ?』です。
このエピソードは、TVアニメにおいて俗に言われる「水着回」です。主要登場人物の四人が川に遊びに行きます。しかしその日の川は水がとても冷たかったのです。
そこでひなたはすぐさま決断を下します。「撤収ー!」と。

この回を観て「このアニメは本当にすごい!」と思ったものです。
「水着回を通して即時判断による完全撤収を描いている!」と。

『ヤマノススメ』アニメ

『ヤマノススメ』アニメ

©しろ/アース・スター エンターテイメント

登山において難しいことの一つが撤収の判断です。筆者の乏しい登山経験の中でもそうした判断を迫られるタイミングがありました。気象、体調、技量、様々な条件に照らし合わせてなるべく早く決断を下さなければなりません。そうした状況を描くことは登山ハウツーにおいて必須でしょう。マンガ版でも登場するシチュエーションです。

話数が限られたショートアニメにおいてそうしたシチュエーションを描くのであれば、必須であるサービス回にそうした描写を織り込むという手法は極めて合理的かつ「ハウツー+ドラマ」として一貫しています。日常の全てが山に繋がっていることが伝わるのです。

登山とはまず「一歩を踏み出す勇気」から始まります。同時に「恐れすぎてもいけない」「がむしゃらになってもいけない」という意識を常に保つことが重要になります。クレバーに即時判断を下しつつ、可能であれば前に進む。そのバランス感覚こそが人を山頂に導き、家に帰すのです。
……などと、さほど山を登っていない筆者が偉そうに言える言葉ではありません。しかし、その一歩を踏み出したときに、見たことが無かった光景を見ることができることは、ちょっとだけですが知っています。
例えば、筆者は『ヤマノススメ』第7巻に登場する瑞牆山(みずがきやま)に登ったことがあります。あいにく頂上は曇っていて何も見えませんでしたが、マンガでの追体験により見られなかった景色を見ることができて感動したものです。頂上は曇っていましたがその道中の景色はとても印象的でした。そこで感じたあれこれを他者に伝えたいのですが、言葉ではなかなか伝えきれません。
そうしたときに一番てっとり早いのは「登ってみて!」と言ってしまうことで、つまり『ヤマノススメ』なのですが……最後に引用したい言葉があります。

先にタイトルを挙げた『航空宇宙軍史』の著者、谷甲州氏は日本を代表するSF作家であると同時に登山小説家でもあります。新田次郎文学賞を受賞した登山小説『白き嶺の男』や、やはり先に名を挙げた登山家・加藤文太郎氏を、新田次郎『孤高の人』とは異なる捉え方で描いた小説『単独行者(アラインゲンガー)』(ヤマケイ文庫)などにおいて、単独行者の視点から単独行とパーティ登山それぞれの意味合いを考察されているのが印象的です。それは『ヤマノススメ』第7巻『アルプスってなに?』で要約して描かれている内容と共通であり、読み比べると理解が深まり面白いでしょう。

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『ヤマノススメ』7巻 P.45-46,P.54
©しろ/アース・スター エンターテイメント

その谷甲州氏による山岳エッセイ集に『彼方の山へ』(中公文庫)があります。厳冬期南アルプス全山単独縦走、そしてヒマラヤ・クン峰登頂など登山に関する文章、青年期のネパール在住記などで構成されています。余談ですが、氏の初期長編SF『惑星CB-8越冬隊』に登場する惑星CB-8と宇宙を渡る鳥ムルキラ(共に航空宇宙軍史にも登場します)命名の由来なども記されており、谷甲州ファンにとって興味深い一冊です。
本書に『新釈「人はなぜ山に登るのか」』と題されたエッセイが収録されています。登山家マロリーによる有名な言葉「そこに山があるからです」という言葉をめぐるエッセイですが、このように〆られています。

”本当はマロリーはこう答えるべきだった。
「答えを知りたければ、ご自分の足で山に登ってみるべきです。すぐにわかりますよ」”

……ということで、『ヤマノススメ』のお話でした。筆者もまた登りたくなりました。

  • 吉田 隆一さん
  • WRITER

    吉田 隆一(よしだりゅういち)

    1971年、東京生まれ。バリトンサックス奏者。”SF+フリージャズ”トリオ『blacksheep』などで活動。アニメ、SFに造詣が深く、雑誌やミニコミ誌等に論考やレビューを発表している。最新アルバムはblacksheep『+ -Beast-』(VELVETSUN PRODUCTS)

    Ryuichi Yoshida Official Web:http://yoshidaryuichi.com/

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