〈こちら〉と〈あちら〉を描き分ける漫画技法――「私たちの気付かない漫画のこと」第4回

2017/10/25

WRITER泉信行・西島大介

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〈こちら〉と〈あちら〉を描き分ける漫画技法「私たちの気付かない漫画のこと」第4回

漫画研究家・泉信行さんが、漫画家・西島大介さんの挿絵とともに、いつも私たちが読んでいる「漫画」のイメージや、見え方が変わるような視点をお伝えしていきます。


こっち(This side)とあっち(Other side)

前回で確かめたことの、おさらいです。

・読者は、目に入るキャラクターすべての視点になりうる
・ひとつの視点に自分のすべてが同化することはない

読者はちょっとずつ、断片的に複数のキャラクターと同調する。これは「意識されにくい」けども重要なこととして強調しました。

でも、「すべての視点になりうる」ことは「手当たり次第にすべてと同化する」こととは言えません。物語の多くは「味方側」「敵側」「無関係な側」を分けたりと、登場キャラの視点を均等に描くものでもないですから。ひとりの読者が、一度に同調できる「人数」にも限界があるはずです。

私たちも読書のたびに「自分の考えや好みで」共感・同調するキャラクターを選べます。たとえ勧善懲悪のドラマでも、「敵側の視点に立って読み直すと新たな面白さがある」と思うこと、ありますよね。

ですが漫画の視点は、読む人の考えだけで決まるかというと、そうとはかぎりません。「物語はキャラクターの視点を均等に描くものでもない」と指摘されてみれば、直観的には「だと思う」と感じるはずですが、では、なぜ「視点の比重」が分かれると言えるのでしょうか。

敵側よりも味方側……そこに強く「視点の比重」が集まるのだと、私たちは感じるでしょう。いえ、順序が逆ですね。まず「視点となるキャラクター」を認識してから、その仲間を「味方」と呼ぶのですから。

それは「こっち(This side)」と「あっち(Other side)」を分けるという認識のしかたです。


『ディエンビエンフー』3巻p5 (C)西島大介/双葉社

『ディエンビエンフー』3巻p5 ©西島大介/双葉社

「銃殺される罪人になんでわざわざ目隠しするのか?」
「死ぬのが怖くないように…?」
「バーカ。そのほうが殺しやすいからに決まってんだろ?」

『ディエンビエンフー』3巻p6 (C)西島大介/双葉社

『ディエンビエンフー』3巻p6 ©西島大介/双葉社

漫画にかぎらず、物語に「味方」と「敵」を感じ分ける機能は、赤ん坊のころから人間に備わっているようです。それは「●」「▲」「■」のような図形や、ぬいぐるみを使った寸劇で実験されています。最初に動きだす図形(or ぬいぐるみ)が斜面を登る、箱を開けるというだけの映像やお芝居なのですが、続いてふたつの図形(ぬいぐるみ)が「手伝う」「邪魔をする」という正反対の行為を加えるようすを赤ん坊に見せます。すると、ほとんどの赤ん坊がその後で「手伝ったほう」を好んで見つめたり、一緒に遊びたがったりするそうです(板倉昭二『心を発見する心の発達 』およびデイビッド・イーグルマン『あなたの脳のはなし』より)。

これは大人たちも「物語のはじめに登場し、行動するキャラクター」を主人公=視点の中心として認識しがちである、という傾向の原初的な反応だと言えます。

いや、「邪魔するような悪いキャラは嫌われて当然」と思われるかもしれませんが、もし行動する順番が逆だったら? 「ここを登ってほしくないのに押し通ろうとしている」「無断で箱を開けようとしている」側をむしろ敵視するかもしれないでしょう。

では、視点の比重をコントロールする方法は他にどんなものがあるでしょうか。もちろん、「同性である」とか「世代や文化が近い」とか、読者と一致する要素の多さでも視点は変わるのですが、読者のタイプによって変わるのではなく、作品の側から操作することは可能なのでしょうか。

内面と見た目による視点

「お芝居」の演出がもう少し高度になると、物語はキャラクターの内面や心理、思考を「観客だけに」伝わるよう、表現することができます。

通常、「心理」というのは客観的なことではなく、「本人だけが感じている主観」とされますから、「内面が伝わる」=共感するというのは、そのキャラクターの視点に接近していると感じられるでしょう。

そしてキャラクターの見た目(絵で描くなら絵柄やデザイン)でも観客との距離感は変化します。

アメリカの漫画家、スコット・マクラウドは、「写実的な顔」は客観的な個人、他者のように見えて、逆に「シンプルな少ない線で描かれた顔」を主観的に、自分に近く感じる、という分析をしました(『Understanding Comics: The Invisible Art』より)。

「写実的な顔」は客観的な個人、他者のように見えて、逆に「シンプルな少ない線で描かれた顔」を主観的に、自分に近く感じる

人間が「目で見る」現実世界は精細で「リアル」だが、「心で思い浮かべる」イメージの世界はあやふやで「シンプルな絵」に近いはずだろう、という気付きがその根拠になっています。

たとえば自分の顔や、友人の顔を写真で見かければ、それが誰なのかすぐに鑑定できます。「ちょっと顔が似ている」人がいても、まず間違えないくらい正確に……。でも「何も見ずにその顔を思い浮かべてください」と言われたら、とてもボンヤリとした映像にしかならず、タレ目気味なのかツリ目気味なのか、二重まぶただったか? 鼻や眉毛のかたちは? よほど特徴的なパーツくらいしか脳内で再現できないことに気付くでしょう。

それは確かに「デフォルメされたラクガキ」のようで、実物みたいに細かな情報をともなっていないというわけです。……ただ、有名人の顔でしたら、かなり特徴を思い出しやすいかもしれませんね。でもそれは、「有名人をデフォルメした似顔絵」のイメージを記憶しているからだと考えたほうが正しいかもしれません。

そのためマクラウドの考えでは、「漫画の絵柄はシンプルであるほど、読者が心で感じる世界と溶け込んでいく」ことになります。反対に「写実的な風景や物体は、客観的な外の世界のように見える」のだと。

漫画の視点となるキャラクターがシンプルな形でデザインされやすいのも、読者が主観的に同化しやすいからであって、客観的に見せたいキャラクターほど細かく描き込むことになる……。マクラウドの分析を応用すると、そんな風に考えられます。

このマクラウドの法則を、もっと深く分けてみましょう。たとえば私たちは、「たいして共感もしない無名のキャラ」がとてもラフな(雑な、とも)顔で描かれている漫画をよく読んだことがあると思います。それらは本当に、シンプルなキャラだから主観的なキャラと言えるでしょうか?

また、私たちは「目や髪型が丹念に描き込まれたキャラクターほど、主役級のキャラである」という認識をすることも多いでしょう。これは「シンプルな絵柄であるほど主観的に同化する」という法則と反しているようにも思われます。

そこで絵柄のシンプルさと複雑さを分ける軸を、さらに増やしてみたのが次の図です。

左右の変化では「おおまかなデザインの作り込み」が、上下の変化では「線やパーツごとの描き込み」が分かれている

左右の変化では「おおまかなデザインの作り込み」が、上下の変化では「線やパーツごとの描き込み」が分かれていることが伝わるでしょうか。

たとえば右上は「デザインは丸っこいが、描き込まれた」顔で、左下は「デザインは写実的だが、両目が塗りつぶされるほど抽象化された」顔という対照になっています。

もちろん、今回は9種類の描き分けしかありませんから、描き手によってはもっと強く描き込む(上側に描き分けを足していく)ことだってできますし、中間の顔にもいろんなバリエーションがありえます。

さて、人の主観性とは「目で見たもの以上の思い込みをする」強さではかることもできます。つまり形状としてはシンプル(複雑な曲線やカドのある輪郭が少ない、という意味に捉えてください)だとしても、よりカッコよく、可愛くしようとすると思い入れが強まって部分的に誇張が増していきます。もちろん「実物よりも怖く、醜く感じる」という別の主観でもそれは同じこと。これを「没入度の高さ」の変化と呼んでもいいでしょう。

そして左右の変化は、マクラウドの考える通りに「自分の心から遠いか近いか」を示すのですが、こちらは主観性というよりは文字通り「距離感の遠さ」と呼んで区別ができそうです。

特に下段の描き方は、先に『ディエンビエンフー』から引用した「銃殺される罪人になんでわざわざ目隠しするのか?」という問いの答えにもなるでしょう。「目」というディテールが塗りつぶされてフラットになることで、仮に右下の丸っこい絵柄(=距離感が近い)であっても、私たちの没入度を下げてしまうのです。

目線がかくれて殺しやすい

『ディエンビエンフー』3巻p6 ©西島大介/双葉社

前回の記事では、「主人公」とひとくちに言っても視点によって一概には語れない、という問題がありました。

たとえば「読者との同化を促しつつ、没入を高める」主人公に適しているのは右上に近い絵柄かもしれません。

逆に「読者にとって魅力的な他者に見える対象」として主人公を描くなら、左上の絵柄が適していると言えるでしょう。客観的に見えるだけでなく、「他人扱い」をしているわけでもない、思い入れを込めた距離感として。

つまり「こっち(This side)」「あっち(Other side)」の分け方をするなら、「こっち」に近付いてくれるのか、「あっち」に遠ざかりやすいか。その中間や、どちらも合わさった位置を、絵柄によってコントロールできる……と考えられるのです。

漫画を読む向きによっても変わる

さて、さらにここからは第1回と第2回で見てきたような「漫画というメディアの特徴」によって何ができるか、にまで踏み込んでみましょう(ここまでは漫画じゃなくても当てはまる話でしたからね)。

キーワードとなるのは「アングル」です。漫画は「本の開き方」や「日本語の読み順」に従って「横に読み進む」メディアだとも解説してきましたが、それは次のような「視線」で読むことにも繋がります。

読者の視線は、隣に描かれたものを見よう(読もう)とするたびに、斜めに傾いているはず

読者の視線は、隣に描かれたものを見よう(読もう)とするたびに、斜めに傾いているはずです。これがページをめくるたびに繰り返されるのが、「ページめくり」や「コマ割り」のない映画やアニメと差別化できる特徴なのです。

すると自然に、「左向きアングルのキャラクター」(図の1コマ目と同じ)は読者の視線と並び「右向きアングルのキャラクター」(図の2コマ目と同じ)は読者の視線と対峙する構図になります。

そのアングルの差も、「こっち」と「あっち」を分けていくのです。泉信行の漫画論では、この効果を赤松健『魔法先生ネギま!(講談社)という少年漫画のワンシーン(コミックス8巻、新装版4巻に相当)を借りて何度か紹介してきました。

赤松健『新装版 魔法先生ネギま!』(4) (週刊少年マガジンコミックス・講談社)

過去の研究発表(このページこの本など)を参照していただいてもよいのですが、ここは新たに見やすい作画でご覧いただきましょう。

無言で顔の見えない魔法使い(主人公の父親)が、力で圧倒した悪魔にとどめを刺すというシーン

無言で顔の見えない魔法使い(主人公の父親)が、力で圧倒した悪魔にとどめを刺すというシーン。これを構図ごと左右反転させてみるという実験です。

キャラクターの向き(アングル)が逆転することで、読者からの距離も絶妙に変化する

これで何が変わるかというと、キャラクターの向き(アングル)が逆転することで、読者からの距離も絶妙に変化することになります。

反転前は「とどめを刺す」という、左側の悪魔を「圧倒する対象」として見る視点だったのが、反転後は「とどめを刺される」という、主客も逆転した視点の漫画になる……という説明にこのシーンは用いられてきました。

「読者はキャラクターの感覚に、ちょっとずつ同調する」という前回のお話を踏まえるなら、このシーンでの感覚は「悪魔の呪詛を聞く」聴覚、「首を握りしめる」触覚、「首を握りつぶされる」痛覚などが存在するでしょう。

反転前は、無言の魔法使いと並んで「左側の悪魔の顔を見る」という視点(アングル)になり、その視点の向きとシンクロしつつ、「呪詛を聞く」耳「握りしめる」手の感覚を読者が体内でシミュレートすることにムリはありません。

では反転後はというと、右側に移った悪魔と並んで、無言で呪詛を受け止める魔法使いを見つめる視点となり、今度は「首を握りつぶされる」死の訪れまでシミュレートすることが、むしろムリのない「読み」となるのが、この左右反転実験の面白さです。

アングルを反対にすることで、まるで「命の重さ」も変わるようであり(『ディエンビエンフー』の問いかけと同じことですね)……勧善懲悪の少年漫画であるかどうかの比重も変わるでしょう。

そしてこのシーンは「主人公の父親が悪魔に皮肉られるほど強い」ことを描いたエピソードでありながら、読者からの距離感が遠ざかることで、父親の「化物性」「無言の不気味さ」をも強調するようにも変化して感じられます。

わかりやすく「右側の左向きアングル」を「順位置」、「左側の右向きアングル」を「逆位置」と呼びましょう。その立場に加わりやすい効果を一覧にしてみます。

「右側の左向きアングル」を「順位置」、「左側の右向きアングル」を「逆位置」

もちろん、こうした「アングル」による効果は「物語」「心理描写」「絵柄」から生まれる視点と組み合わさって、より豊かなハーモニーを奏でます。物語上では「視点のキャラ」が逆位置に回されたり、その反対が起こったり……。漫画を「描く」側からも、「読む」側からも、その組み合わせの豊かさをいつも無自覚に味わっている、と言えるでしょう。

それは漫画だからこそできる、演出の豊かさなのだと知っていただきたいのです。

  • 泉信行さん
  • WRITER

    泉信行

    漫画研究家、ライター。2005年頃から、漫画表現論の研究発表を行う。同人誌『漫画をめくる冒険』上下巻の発行の他、漫画に関する仕事では『マンガ視覚文化論』(水声社)、『藤田和日郎本』『皆川亮二本』『島本和彦本』(小学館)への寄稿などがある。
    http://d.hatena.ne.jp/izumino/

  • 西島大介さん
  • WRITER

    西島大介

    漫画家。2004年『凹村戦争』でデビュー。『世界の終わりの魔法使い』『すべてがちょっとずつ優しい世界』など作品多数。「月刊IKKI」休刊により未完となった『ディエンビエンフー』が双葉社「月刊アクション」に移籍。完結を目指し『ディエンビエンフー TRUE END』第1巻を2017年8月10日刊行。「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」主任講師も務める。
    https://daisukenishijima.jimdo.com/

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