魂と私をめぐる物語--伊藤計劃『ハーモニー』の視点・前編【視れば揺らぐこの宇宙】第5回

2017/10/30

WRITER吉田 隆一

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魂と私をめぐる物語--伊藤計劃『ハーモニー』の視点・前編【視れば揺らぐこの宇宙】第5回

連載5回目です。今回は伊藤計劃『ハーモニー』(ハヤカワ文庫JA)についてのお話をします。前後編に分け、重層的な構造をもつ本作の解題を試みます。

(編注:上記リンク先は新版)

前編である今回は、作品の概要紹介を行います。

日本SFにとって重要な伊藤計劃とは

伊藤計劃氏は1974年生まれのSF作家です。2007年に長編『虐殺器官』(ハヤカワJコレクション/ハヤカワ文庫JA)でデビュー。 2008年に長編『ハーモニー』(ハヤカワJコレクション/ハヤカワ文庫JA )が刊行され、翌2009年に病没します。
作家としての活動期間はわずか2年。上梓された小説は長編3作(そのうち1作はゲーム『メタルギアソリッド』のノベライズ)と中短編5作、絶筆となった長編導入部などその数は多くありません。しかしどの作品も強烈なインパクトを残す問題作揃いです。特に『虐殺器官』そして『ハーモニー』の2作は、日本SFの将来に影響を残すであろう重要な作品群です。実際、「伊藤計劃以後」という言葉にも見られるように現在もその評価は高まる一方です。

2014年に『虐殺器官』『ハーモニー』ならびに、伊藤氏の絶筆を円城塔氏が書き継ぎ完結させた『屍者の帝国』(河出書房新社)のアニメ化が発表され、2015年から2017年にかけて劇場公開されています。
『ハーモニー』英訳版は2010年に「フィリップ・K・ディック賞」の特別賞を受賞しています。

『ハーモニー』の紹介に入る前に、まず『虐殺器官』の紹介をしましょう。

『虐殺器官』は絶妙なタイミングで世に放たれた

『虐殺器官』は、人間が虐殺を行う「トリガー」をめぐる物語を特殊部隊兵士の一人称視点で描いた作品です。「911」以後の世界、ゼロ年代を代表する傑作です。
本作の魅力は
「争いが絶えることの無いこの世界を見渡す視野を持った伊藤氏ならではの視点」
「強烈な言葉の奔流で紡がれる暴力的なまでにエネルギッシュな物語」
など幾つも挙げられます。
しかし本作を傑作たらしめる最大の特徴は「語りたい物語を自分の語り口で語った」物語が、語られるべきタイミングで語られたことにあります。
物語を語る伊藤氏の切実さと、80年代サイバーパンクSFの如き格好良さとが、絶妙なタイミングで世に放たれたのです。ではその「語られるべきタイミング」とは具体的には何だったのでしょう。

シネフィルと呼ぶべき映画狂であった伊藤氏による映画評論集『伊藤計劃映画時評集1』(ハヤカワ文庫JA)掲載の、映画『ファイトクラブ』評に以下のような文章があります。

”今、ぼくがこの社会に生きているという逃げようのない事実を扱う映画。肉体を持つ一個の人間として「今ここ」に生きることの意味を問う映画。その意味では「エヴァ以降」ともいえる最近のアニメーションの流行に近いかも知れません。”
”しかし私は「エヴァ」にも「lain」にもノれませんでした。疎外と孤独を扱っていればアニメやゲームとして認められてしまうところが、この業界の19世紀的な幼稚さです。あの手のモノが、ぼくは大ッッ嫌いです。
”この映画が扱う題材は、いま、ぼくらが生きるこの消費社会での肉体と自我/狂気と去勢/はては「一瞬」と「人生」などに繋がる、外界と「私」の関係性です。”

『ファイトクラブ』は 伊藤氏にとってのオールタイムベスト映画の一つですが、氏がこの映画から見出した上記のテーマは、そのまま伊藤氏の作品全てに背景として横たわっています。特に『虐殺器官』の物語構造を支えているものこそ、こうした”消費社会での肉体と自我””外界と「私」の関係性”です。
『虐殺器官』は、90年代を代表する「エヴァ」的なフィクションの次に来るべき物語を、絶妙なタイミングで示唆したと言えるのです。

『ハーモニー』はスペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説)

『ハーモニー』はその『虐殺器官』の間接的な続編であり、合わせ鏡のような作品です。続編とはいえ物語上の直接的なつながりはないため本作単独で楽しめますが、『虐殺器官』と併せて読むことで伊藤氏の視点がより明確になります。

”人間の持っている感情とか思考とかっていうものが、生物としての進化の産物でしかないっていう認識までいったところから見えてくるもの、その次の言葉があるのかどうか、っていうあたりを探ってる。”
『伊藤計劃記録Ⅱ』収録「伊藤計劃インタビュー」より抜粋)

『ハーモニー』は21世紀後半の、完全なる福祉厚生社会を舞台にしています。人体にインストールする「WatchMe」と呼ばれる医療システムにより、病気の大半が駆逐された世界。その過剰とも呼べる心身のケアに支えられたユートピア=ディストピアからの、自死による逃亡を図った少女たち……ミァハ、トァン、キアンを軸に、作中時間を前後しながら物語は進行します。

本作は重層的なテーマを持つ極めて哲学的なSFであり、同時に非常に優れたエンターテイメント小説です。
本連載第1回で紹介したニューウェーヴSF運動において、作家J.G.バラードは「SF=スペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説)」という言葉を提唱しました。SF的なガジェットを用いて哲学的なテーマ性を探求する小説、とでも言いましょうか。

その意味において本作はまさに「スペキュレイティヴ・フィクション」です。しかし実際に本作を読むとそうした定義から連想されるような難解な印象は受けません。本作は、哲学性とエンターテイメントを高度に両立させた恐るべき小説なのです。

意識の正体にメタ視点から言及した『ハーモニー』

本作にはまず2つの大きなテーマが平走しています。
1つは、内戦と虐殺の世界を描いた『虐殺器官』と合わせ鏡の「絶対的に平和な世界(ユートピア=ディストピア)」についてです。
そしてもう1つが「意識とは何か」です。
後者は先行する『虐殺器官』でも触れられているテーマです。また、本作と同時期に発表された短編『From the Nothing, With Love.』(短編集『The Indifference Engine』ハヤカワ文庫JA 収録)でも扱われているテーマです。

特にSFとして重要なテーマは後者、「意識とは何か」です。古典的ともいえるユートピア=ディストピアSFテーマから本作を離陸させたSF的想像力です。

このテーマは、本連載で第1回から第3回まで扱ったニューウェーヴ以降、サイバーパンク以降で扱われる「魂」の問題にも関係してきます。伊藤氏は80年代のサイバーパンク小説に多大な影響を受けています。また90年代以降のSFや現実の科学研究が描き出すビジョンにも高い関心を持っていたことが、遺された文章からうかがえます。
その伊藤氏が、かつてニューウェーヴが志向した意識という内宇宙=イナースペース、我々が重大事と感じる「意識」の正体について、メタな視点からの言及を試みたのが本作なのです。

伊藤氏は「人間の様々な形質とは進化の過程で場当たり的に得たもののパッチワークである」という認識を様々な文章で述べています。形質には病気、そして意識も含まれます。
伊藤氏が『ハーモニー』で言及する「意識」とは、一般にイメージされるであろう「意識」よりもさらにメカニカルな役割を果たすものです。『虐殺器官』において言語を器官と定義したことと同様です。本作は人間が外界と切り結ぶ上でツールとして用いられる「意識」に関する物語なのです。

……これ以上は本作のネタバレに繋がるので、前半では言及を避けます(あらかじめ予告しますが、後編では思いっきりネタバレします。ご了承ください)。

『ハーモニー』が持つ「叙情と叙事の重層的構造」

本作で言及されているテーマは近年のSFで取り扱われるテーマに直結しています。例えば連載第3回で取り上げた『アリスと蔵六』における「魂」の問題です。『アリスと蔵六』作中で例として挙げられる「中国語の部屋」(※)問題とも関わってきます。
※編注:哲学者・ジョン・サールによる思考実験。アルファベットは読めるが中国はできない人を部屋に閉じ込める。そして小穴から漢字が書かれた紙を差し入れる。部屋にはマニュアルがあり、「この漢字のパターンにはこう返せ」と指示がアルファベットで書かれている。部屋にいる人はその指示に従って返事を返す。それを受け取った人は「部屋の中の人は中国が理解できる」と考える。しかし実際には部屋の中の人は中国語を理解していない……というもの。意識や言語、人工知能についての思考実験。

本作で興味深い点は、主観では語り辛く思える大きなテーマの物語が、主人公トァンの一人称で語られている点です。『伊藤計劃記録Ⅱ』収録のインタビューで伊藤氏は、「三人称に馴染めない」という三人称不信ともいうべき話から、物語の語り手が明確であることで成立する構造にしないと不安である、と語っています。
『虐殺器官』など伊藤氏の作品は全て一人称を用いた「信頼できない語り手」の物語です。そして本作は一人称による作劇法が極まった作品です。一人称という語り口が、物語構造そのものをメタ的に支配しているのです。

伊藤氏は『伊藤計劃記録Ⅰ』で「叙情と叙事」について語っています。物語が心理の動きを中心に語られるならば叙情、起こった事柄がそのまま語られるならば叙事、というように分類できます。例えば「メロドラマ」は叙情であり、「神話」は(叙事詩という言葉もあるように)叙事です
もちろんあらゆる物語がそのどちらかに完全に分類できる「二択」というわけではありません。例えば純文学作品では、発生した事柄を淡々と描くことで微細な心理の動きを描く構造の叙情的作品も多くみられます。

『ハーモニー』の場合はどうでしょうか。作中の時系列は語り手であるトァンの感情の動きを追って前後します。一見叙情的でナイーヴな物語進行です。しかし作劇上の仕掛けにより(ネタバレになりますので書けませんが)叙情的とも呼べる作劇が叙事に反転する構造になっています。

その構造は作劇上の仕掛けを超えて、本作を特異なフィクションとして成立させています。
本作は一人称という語り方によって叙情の形態をとりながら、心理の動きよりも事態の推移を中心として語られる叙事的な構造であるという、いわば「メタ・メロドラマ」なのです。

しかも『伊藤計劃記録Ⅱ』には「物語が一人称で語られるときにはコメディの様相を呈する」という一文もあり、本作に限らず伊藤氏がどのような意識で創作に臨んでいたのか、というさらにメタ的な問題にも関わってきます。作品のみならずその執筆過程もまた重層的な構造を持っていると言えるでしょう。

『ハーモニー』を読み解くための重要な2作品

伊藤氏の没後に、本作に関連する重要な小説作品が2作、発表されています。

1つは神林長平『いま集合的無意識を、』(短編集『いま集合的無意識を、』ハヤカワ文庫JA 収録)です。SFマガジン2011年8月号で発表された短編です。
この作品は小説の形をとっていますが、実質は神林氏による『ハーモニー』の感想・批評文です。
本作では『ハーモニー』作中における「意識」の取り扱いのあいまいさが指摘されています。それは単に否定的な内容ではなく、むしろその背後の意図の考察と、伊藤氏のSF的想像力に刺激された神林氏の心境が(もちろん小説ですので、字義通りに受け取ることはできませんが)述べられています。

神林氏は「言葉使い師」の異名をとるSF作家です。そして伊藤氏が『虐殺器官』『ハーモニー』で扱った言葉と知性というテーマは、氏の主戦場とも呼べる場所=テーマです。その神林氏の立脚点から『ハーモニー』について語った本作もまた「語られるべき作品」であり、『ハーモニー』解題において重要な作品なのです。

『いま集合的無意識を、』が重要である理由は他にもあります。それは神林氏が代表作『戦闘妖精・雪風』をはじめ、多くのSF作品を通じて伊藤氏と同世代の人間に少なからず影響を与えていることです。作家であれば例えば、『魔法少女まどか☆マギカ』で知られる虚淵玄氏、そして芥川賞作家である円城塔氏の名が挙げられます(なお筆者も伊藤氏と同世代です)。

そしてもう1つの重要作が、同世代作家である二人の共作と呼べる伊藤計劃+円城塔『屍者の帝国』です。

2012年に発表された本作は、伊藤氏が愛した映画『007』シリーズ、ウイリアム・ギブスン+ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(ハヤカワ文庫SF)等、多くの物語の要素をコラージュしながら、『ハーモニー』→『いま集合的無意識を、』で扱われる「意識」について円城氏の視点による解釈と問題提起がなされています。
本作は、円城氏が伊藤氏の思索トレースと嗜好の再構築を通じて作品解題を試みた作品というようにも読めます。そしてやはり魂と言語を扱う現代SFの重要作品であります。

筆者は本作を初めて読んだ折に、伊藤氏の文章から円城氏の文章に切り替わった瞬間の「温度差」に読書の悦びを強く感じました。月並みな表現ですが、文字通り身体が「ぶるっ」と震えたことを憶えています。物語を文章で読む、という行為の醍醐味を味わったのです。
そして本作エピローグ、そのラスト10行を読むたびに落涙を禁じえません。そんな読み方は感傷的に過ぎるのかも知れませんが。

今回はここまでです。なにはさておき伊藤計劃作品はいずれも優れたエンターテイメント小説ですので、構えずにまず一読をお薦めします。
次回後編では、ある視点から読み解く『ハーモニー』……ということでネタバレを含みながら(もちろん物語の結末には触れませんが)お話します。

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

『ハーモニー』はカプレーゼのシーンが印象的すぎて……。伊藤さんがWebディレクターだったのも活かされている小説よね。

なるほど

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(後編)伊藤計劃『ハーモニー』の視点・後編--冷戦以後と「双子と銃」-- 【視れば揺らぐこの宇宙】第6回(1)

  • 吉田 隆一さん
  • WRITER

    吉田 隆一(よしだりゅういち)

    1971年、東京生まれ。バリトンサックス奏者。”SF+フリージャズ”トリオ『blacksheep』などで活動。アニメ、SFに造詣が深く、雑誌やミニコミ誌等に論考やレビューを発表している。最新アルバムはblacksheep『+ -Beast-』(VELVETSUN PRODUCTS)

    Ryuichi Yoshida Official Web:http://yoshidaryuichi.com/

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