伊藤計劃『ハーモニー』の視点・後編--冷戦以後と「双子と銃」-- 【視れば揺らぐこの宇宙】第6回(2)

2017/11/29

WRITER吉田 隆一

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
伊藤計劃『ハーモニー』の視点・後編--冷戦以後と「双子と銃」-- 【視れば揺らぐこの宇宙】第6回(2)

伊藤計劃『ハーモニー』の視点・後編--冷戦以後と「双子と銃」-- 【視れば揺らぐこの宇宙】第6回(1)

「双子」のように「人類全体の生」により個が揺らぐ物語『ハーモニー』

そして『ハーモニー』もまた、「双子と銃」の物語の系譜に属しています。

前回紹介したように、『ハーモニー』は病気の無くなった世界を舞台にしています。そして生命倫理が徹底され、表面上は「完全に平和な世界=ユートピア」を描いた作品です。

絶対的に平和な世界が描けたらそれは一体どんなものなのか、っていうのが最初の発想ですね。
(『伊藤計劃記録Ⅱ』収録「伊藤計劃インタビュー」より抜粋)

さらに本作は、前作『虐殺器官』や短編『From the Nothing, With Love.』において伊藤氏が扱った「意識とは何か」というテーマについて、「感情や思考とは、生物としての進化の産物でしかない」という認識に基き(前回参照)、考察を推し進めた作品です。

……ここから具体的な内容、ネタバレです。

主人公・霧慧(きりえ)トァンの一人称で進行する本作には、物語の中心にいながら終盤まで記憶上の人物としてしか語られないもう一人の主人公、御冷(みひえ)ミァハがいます。彼女の目的は物語の中盤に明らかになります。作中の時代、ほぼ全ての人類にインストールされた医療システムWatchMeを利用して「人類の意識」を無くそうとするのです。

意識が無くなることにより人類は揺らぐことなく常に最適解を選び続けることが可能になる、というのが本作における思考実験の結論です。争う必要もなくなり「絶対的に平和な世界」……真のユートピアが現出することになるでしょう。しかしそれは個の喪失です。いわば人類の揺るぎのない生により個のアイデンティティーが揺らぐ、という状況ともいえます。

お分かりいただけますでしょうか。これはここまで述べた双子のモチーフに通ずるアイデアなのです。

……もっとも本作において「意識」と「自我」の規定は曖昧ではあります。前回紹介した神林長平『いま集合的無意識を、』ではそうした曖昧さについての考察がなされています。

「表面上は平和な世界」には伊藤計劃の強い「冷戦の記憶」が反映されている

そして銃です。
まず、具体的な銃について。
物語の語り手であるトァンの銃は……前半においてはRPG(ロケット砲)も手にしますが、常に彼女の意思を反映しています。しかし物語の最後に、先に述べたような主従の反転が描かれています。その結果には触れませんが……アクションの小道具という記号を超えた、情動の象徴として機能しています。

さらに、物語のバックボーンを支える抽象的な銃=闘争について。
先に述べたように本作の世界は、表面上は平和な世界です。しかし争いや悪意が消えた世界ではありません。例えば少女を陵辱する兵士が、その少女の口にトカレフを押し込むような世界です。だからこそ「絶対的に平和な世界=人類の意識が消えた世界」という思考実験が意味を持つのですが……この「表面上は平和な世界」には、人類が経験した「冷戦以後」が反映されているはずなのです。

それは、『虐殺器官』に続く作品として当初は「核戦争以後」が描かれるはずだったことや、「核戦争が日常化した物語があるとしたらどのようなものか」という想像について『伊藤計劃記録Ⅰ/Ⅱ』の随所で語られていることからも推測できるでしょう。冷戦下の日常とは、平和な背景に横たわる核戦争への不安であったからです。

“世界は終わるだろうか。今、それを想像するのは難しい。今の世界はむしろ、テロや内戦といった小さな暴力が日常化した、終わらない地獄を日常として生きる世界だからだ。”
“昔、世界は二つの勢力があって、世界中の人間を地表から拭い去ることのできるだけの熱量の種を抱えていた。世界が滅ぶことを、その滅びが明日であるかもしれないことを、知っている世界に生まれたそれに相応しい想像力の形態。”
(『伊藤計劃映画時評集2』収録『ターミネーター2』評より抜粋)

この日常の不安は、本連載第一回で取り上げたP.K.ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』における、発表当時は説明不要であった不安と似たものです。不安、というより恐怖の質は60年代と80年代とでは大きく異なりますが。
なお映画『ブレードランナー 2049』では、原作におけるそうした不安を、現在の社会に横たわる不安と並列して描いています。それはまさしく冷戦期と冷戦以後におけるそれぞれの「日常」の反映でしょう。

そして時代の反映という意味において『BLACK LAGOON』と『ハーモニー』、 広江氏と伊藤氏には親和性があります。それは二人が同世代であることと無関係ではないでしょう。前回述べたように筆者も同世代です。

70年代前半に生まれた我々にとって、物心ついたときには「冷戦」が世界の常識として存在していました。レーガン元大統領があの子供じみた戦略防衛構想「SDI」……いわゆる「スター・ウォーズ計画」をぶち上げたのは我々が小学校高学年から中学生の時分です。そして成長し社会に眼を向けはじめる10代後半から20代前半にかけてベルリンの壁が崩れ、ソ連が消滅します。そうした世代です。

この世代が「世界と私の関わり」を描こうとするならば、冷戦の記憶は避けて通ることができないのです。

悲惨を、アクションを魅せるための緩急の一部として機能させる手法

そしてそれがエンターテイメントの形をとるならば、十代のころに享受したフィクションでの描き方の記憶も表出することになります。
広江氏と伊藤氏、どちらの作家も映画に対する思い入れが非常に強くみられます。エンターテイメント映画の影響は、作中における様々な映画作品からの具体的な引用に留まりません。「あらゆる悲惨を、アクションを魅せるための緩急の一部として機能させる」という作劇手法そのものに及んでいます。

例えば……『BLACK LAGOON』の双子“ヘンゼルとグレーテル”と、『ハーモニー』のミァハの出自は鏡あわせのようです。
ミァハはコーカサスの少数民族という設定です。その少数民族は生来「意識を持たない」民族でした。この設定にはSF的アイデアによる跳躍を感じますが、作中において語られるのは過酷なエピソードです。地域紛争の混乱のさなか、幼少の彼女は人身売買により性的奴隷とされてしまったのです。
つまり彼らは「東欧においてその身を売られ、陵辱される幼少期を過ごした」という設定が共通しているのです。
そしてその結果として“ヘンゼルとグレーテル”は自我の境界が失われ、意識と呼ぶべきものを持たなかったミァハには意識が発生することになります。

こうした人間の業とも呼べる悪意と悲惨の描き方において、この二作には親和性が感じられます。切実で真摯な描き方ですが、筆致はどちらも「乾いて」います。乾いていなければこうしたことは書くのも読むのも耐えられないでしょう。なぜならこの悲惨は物語の必然であると同時に、アクションを魅せるための緩急の一部としても機能しているからです。登場人物にとっては癒えることがない出自の傷であり、行動の原点でもありますが、決して物語の中心ではないのです。
これは、「フィクションとエンターテイメントとは」「世界の何処を見てどのように描くか」という非常に大きな枠の問題でもあるのですが、どちらの作家も自分の視点と興味に自覚的であり、フォーカスが絞れています。悲惨を描き出す乾いた筆致に、その自覚と覚悟が現れています。

今こそ、「双子と銃」の物語を読み返そう

ではどちらの作者も醒めきった視点で世界を見ているのでしょうか。そんなことはありません。事物との距離を測るための醒めた眼を持っていますが、作品が発する熱量は圧倒的です。世界を焼き尽くさんばかりのその熱は作者自身が放ったエネルギーであり、それが物語を推進させるのです。

伊藤氏の作品が今後も読み継がれるとしたら、読者がそうした熱を欲しているからに他ならないでしょう。
そして、それを欲する人々がいつの時代においても必ずいるはずなのです。

……ここまでの論考は、あくまで『ハーモニー』という重層的構造を持った作品を読み解く上での一つの視点に過ぎません。前回と今回で何度も引用している『伊藤計劃記録Ⅱ』収録のインタビューにおいて、伊藤氏は最後にこう述べています。

“次に扱うテーマは戦争ですね。『虐殺器官』は実は戦争を扱っていません。「戦争」というよりは「戦闘」というか、もっと個によりそっている。『虐殺器官』と『ハーモニー』は対になっているので、次の作品はまた別のテーマになると思います。”

この言葉を読むと、まず(円城塔氏によって書き継がれた『屍者の帝国』はありますが)戦争を扱った「次の作品」が永遠に失われたという、大きな喪失感を覚えるでしょう。

そうした感慨と共に、例えば伊藤氏が深い影響を受けたゲーム『メタルギアソリッド』の存在や冷戦について、個人兵装であり意思の反映でもある銃の存在など、この短い発言の後ろにも重層的な背景が隠れていることに圧倒されてしまうのは私だけでしょうか。

分量的には決して多くはない伊藤計劃の小説作品、そして小説同様に熱量に満ちたエッセイや映画時評を繰り返し読むことの意義と愉しみはそこにあります。
背景を読み取り、「世界と私」の関係を感じ取る読書体験なのです。

2017年、30年ぶりに新たな米軍正式採用拳銃が発表されました。冷戦以後のアイコンであったベレッタM9(M92の採用名)は引退です。
かくして兵士が手にする銃は更新され、争いの絶えない世界はまた新しいフェーズに入っています。冷戦以後を描いた「双子と銃」の物語を読み返すタイミングは、まさしく今なのです。

  • 吉田 隆一さん
  • WRITER

    吉田 隆一(よしだりゅういち)

    1971年、東京生まれ。バリトンサックス奏者。”SF+フリージャズ”トリオ『blacksheep』などで活動。アニメ、SFに造詣が深く、雑誌やミニコミ誌等に論考やレビューを発表している。最新アルバムはblacksheep『+ -Beast-』(VELVETSUN PRODUCTS)

    Ryuichi Yoshida Official Web:http://yoshidaryuichi.com/

関連記事

TOPに戻る

  • LINEで送る
  • はてなブックマークに追加
  • +1する
  • POCKET
  • facebook
  • ツイートする
  • ツイートする
  • facebook
  • LINEで送る
  • +1する
  • はてなブックマークに追加
  • POCKET