1935年、初回受賞作はブラジル移民小説だった。「芥川賞をぜんぶ読む」第1回

2018/03/20

WRITER文:菊池良/絵:西島大介

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1935年、初回受賞作はブラジル移民小説だった。「芥川賞をぜんぶ読む」第1回

突然だがこの連載では芥川賞の受賞作をすべて読んでいく。
芥川賞といえば「最も権威がある」(世界大百科事典)とも称される純文学の新人賞である。1年を上半期、下半期と分けて、それぞれ半年間のうち、新人が雑誌に発表した中短編を対象にする。候補作が載る雑誌は『群像』『新潮』『すばる』『文學界』『文芸』の5誌が多いとされるが、その限りではない。
最新の第158回では石井遊佳「百年泥」、若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」の同時受賞となった。
芥川賞が始まったのは1935年である。前年、直木三十五の死に接した菊池寛が、大衆文芸の新人に贈る直木賞、純文学の新人に贈る芥川賞を制定することを思いつく。『文藝春秋』の1935年1月号にその宣言が載せられた。
第1回の候補作は以下の通りである。すべて1935年1月〜6月のあいだに発表された作品である。

  • 石川達三 「蒼氓」
  • 外村繁  「草筏」
  • 高見順  「故旧忘れ得べき」
  • 衣巻省三 「けしかけられた男」
  • 太宰治  「逆行」

候補作は選考委員の瀧井孝作によって選定された。文藝春秋の社内で30作ほど選ばれたあと、瀧井が上記の5作にしぼった。
選考委員は瀧井のほか、菊池寛、久米正雄、山本有三、佐藤春夫、谷崎潤一郎、室生犀星、小島政二郎、佐佐木茂索、横光利一、川端康成。そうそうたるメンバーである。
いまや芥川賞は受賞作が発表されると、必ずニュースになる。しかし、第1回から読んでいる人は少ないのではないだろうか。この連載ではどういった作品が、どういう時代に、どんな理由で受賞したのかを見ていく。さっそく第1回の1935年からいこう。

1935年とはどんな時代だったのか

これらの小説が書かれた、あるいは選考された1935年とはどういう時代だったのか。
第一次世界大戦が1918年に終わり、第二次世界大戦が1939年に始まる。1935年は──今からしてみたら、だが──その直前の時期である。
アメリカでは1929年にウォール街の株式市場が暴落し、1935年はルーズベルト大統領が──就任は1933年である──経済立て直しのためにニューディール政策を実行していた。
ソビエトではスターリンが、ドイツではヒトラーが台頭していた。中国では毛沢東が実権を握り始めていた。
日本は年号が「昭和」に変わって、10年が経過していた。時の総理は岡田啓介である。海軍出身の政治家で、とぼけた答弁を繰り返して「狸」と呼ばれた。1936年の「二・二六事件」の責任を取る形で辞職する。が、それは第1回芥川賞のあとのことである。
小林秀雄が「ドストエフスキイの生活」の連載を始め、横光利一が「純粋小説論」を書いたのが1935年である。イギリスではペーパーバックの「ペンギン・ブックス」が創刊された。
映画では小津安二郎が「東京の宿」を公開し、音楽では伊福部昭がチェレプニン賞の第1席に入賞、科学分野では湯川秀樹が中間子論を発表した。
そんな時代に芥川賞は始まった。

「蒼氓」はどんな小説なのか

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「蒼氓」は1930年3月、神戸にとある家族が訪れるところから始まる。
港近くの丘の上には「国立海外移民収容所」がある。ここではブラジルへの国策移民を斡旋している。収容所での体格検査に合格すれば、ブラジルに移住することができる。渡航費が補助されるうえ、農園での働き口も用意されているのだ。
「蒼氓」はブラジルに行く船が出るまでの収容所での8日間を描いている。収容所は食堂や寝室が用意され、ブラジル語の講習も行われている。そこにはさまざまな人間がやってきている。
土地や家を売り、帰る場所がない状態で収容所へ来た者。病気をごまかして検査を受ける者。ほんとうは地元に結婚したい相手がいるのに、1年の辛抱だと自分に言い聞かせている者。
ブラジルに行けばきっと未来が開ける。だが悪い噂も聞く……。それぞれが複雑な心境を抱えて、渡航への数日間を過ごす。
「蒼氓」はブラジル移民を描いた小説である。1925年から始まった国策移民では、太平洋戦争によって国交が断絶するまで約19万人がブラジルに渡ったという。
石川達三は1930年に半年ほどブラジルに渡航している。この小説はそのときの経験がもとになっているのだろう。

「蒼氓」はどう評価されたか

この『蒼氓』が第1回の芥川賞を受賞した。各選考委員は『蒼氓』に関して、以下の選評を書いている。

「単に体験の面白さとか、素材の珍しさで読ませるのではなく、作家としての腰は据っている」(久米正雄)
「素材の面白さの上に作者の構成的な手腕のうまさも認めなければなるまい」(佐藤春夫)
「構成も立派だし、しっかりもしている」(山本有三)
「手堅い点では申分ない」(瀧井孝作)

「蒼氓」を積極的に推してはいないが、構成のうまさを挙げている点で共通している。なお、川端康成は直接の評価を下していない。
ただし、選考委員の佐藤春夫はのちに第1回の選考を振り返り、

菊池と久米とが積極的に意見を交換してゐるほかは、誰もあまり活溌な発言はなかつたやうに思ふ。だから第一回の決定は菊池と久米とでしたやうなものであつた。

と書き残している。第1回の選考から約20年後の1958年に書かれた文章(注1)である。当事者の証言として残しておく。ちなみに菊池寛の選評は発表されていないが、文藝春秋の1935年9月号での「話の屑籠」にて、「手法も堅実で、相当な力作」と評している。

注1:「現代日本文学全集 第87巻月報86」筑摩書房より

受賞した石川達三のその後

石川達三は1905年に秋田県で生まれた。小説家を志し、早大第二高等学院に在学中の21歳のとき、山陽新報で「寂しかったイエスの死」を発表する。大学に進学するが1年で中退し、23歳で国民時報社に入社する。
25歳のとき、同社を一時退職してブラジルに渡航する。帰国後に同社に復帰し、旅行記を書いた。『最近南米往来記』のタイトルで出版もしている。27歳で退職して執筆活動に入った。
1935年。石川達三は30歳だった。中村梧一郎らと同人雑誌「星座」を創刊し、「蒼氓」を発表した。「蒼氓」は芥川賞を受賞する。
それからの石川達三は、79歳で没するまで作家として生きた。1938年、33歳のときに「生きている兵隊」が検閲で発禁処分となり、筆禍にも巻き込まれる。同作は太平洋戦争が終戦後の1945年12月に河出書房から刊行した。
1949年、芥川賞の選考委員となる。1944年より中止されていた芥川賞が再開してのことだった。1951年、46歳のときに世界ペンクラブ大会の日本代表として、芹沢光治良、池島信平らとスイスに赴く。その後も精力的に作品を発表し、1975年に日本ペンクラブ理事会の会長になった。70歳でのことだった。
1985年、昭和が終わる直前に79歳で亡くなった。昭和という激動の時代にペンで対峙した、と書くのは、いささかロマンチックにすぎる表現か。

その他の候補作について

受賞作の「蒼氓」は、船内での出来事を描いた第2部、ブラジルへの到着を描いた第3部が書かれ、1939年に長編として出版された。2014年に秋田魁新報社から復刊されていて、現在でも読むことができる。
さて、ほかの候補作はどうだろう?
太宰はみなさんご存知の通り。候補作の「逆行」は『晩年』に収録されている。芥川賞は取れなかったが、今でも文庫で読むことができる。
外村の『草筏』は、2000年にサンライズ出版から再版されている。
高見の『故旧忘れ得べき』。その後に出した『如何なる星の下に』『死の淵より』が講談社文芸文庫で読めるが、候補作の『故旧忘れ得べき』は絶版だ。
衣巻にいたっては、存命中にいくつかの詩集を出しているが、候補作の「けしかけられた男」は一度も出版されていない。確認した詩集では、萩原朔太郎や稲垣足穂が前書きを書いていて、衣巻がどういう立ち位置の書き手だったのかが垣間見える。

芥川賞の候補になっても……

1935年の芥川賞を、現在の視点から俯瞰した。筆者は候補となった5作のうち、そのうちの2作が今では読むことが難しいという事実に驚いた。
衣巻の「けしかけられた男」とはどういう小説だったのだろう。なぜ一度も出版されなかったのだろう。衣巻の紹介では必ずこのタイトルは挙がる。だが、現代人がそれを読むことは難しいのだ。
「候補作が今ではほとんど読めない」というのは偶然なのか、はたまた時の洗礼か。安易に判断することはできない。ここでは「そういうものだ」という事実を書くに留めておく。
芥川賞とは何なのだろうか。この連載では1年ごとに見ていって、その輪郭を掴みたいと思う。
最初に書いた通り、芥川賞は年に2回選考が行われる。それは当初から変わらない。第1回は1935年の上半期だった。
では、1935年の下半期の選考はどうだったのか? これは「受賞作なし」となった。折しも1回目の選考会が行われたのは1936年2月26日。「二・二六事件」の日である。それによって選考委員の何人かは出席できなかった。芥川賞も時代のさなかにいる。

  • 菊地良
  • PROFILE

    菊池良

    1987年生まれ。ライター、詩人。2009年に「二代目水嶋ヒロ」を襲名。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著・神田桂一)、『世界一即戦力な男』がある。

  • 西島大介
  • PROFILE

    西島大介

    漫画家。音楽活動の名義は「DJまほうつかい」。2004年『凹村戦争』でデビュー。『世界の終わりの魔法使い』『すべてがちょっとずつ優しい世界』など作品多数。「月刊IKKI」休刊により未完となった『ディエンビエンフー』が双葉社「月刊アクション」に移籍。完結を目指し『ディエンビエンフー TRUE END』第1巻を2017年8月10日刊行。「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」主任講師も務める。

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