1936年上半期、血生臭いアイヌの戦い/孤独な中国生活を描く2作品が同時受賞。「芥川賞をぜんぶ読む」第2回

2018/04/11

WRITER文:菊池良/絵:西島大介

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1936年上半期、血生臭いアイヌの戦い/孤独な中国生活を描く2作品が同時受賞。「芥川賞をぜんぶ読む」第2回

1935年の下半期に行われた第2回芥川賞は受賞作なしとなった。
第3回の芥川賞は1936年8月10日に選考会が行われた。1936年1月〜6月の間に発表された中から優秀作が選ばれた。
候補作は以下の通りである。

1. 打木村治「部落史」
2. 緒方隆士「虹と鎖」
3. 小田嶽夫「城外」
4. 高木卓「遣唐船」
5. 鶴田知也「コシャマイン記」
6. 北条民雄「いのちの初夜」
7. 矢田津世子「神楽坂」
8. 横田文子「白日の書」

この中から鶴田和也『コシャマイン記』と小田嶽夫『城外』が受賞作に選ばれた。芥川賞史上初の同時受賞である(まだ3回しかやっていないのだが)。
受賞作が2つ選ばれるのは芥川賞で珍しくない。最新の158回でも石井遊佳と若竹千佐子の同時受賞となっている。滝口悠生と本谷有希子や、羽田圭介と又吉直樹、円城塔と田中慎弥など、この10年でも5組いる。芥川賞全体となると39組である。ちなみに受賞作なしは32回である。わずかに同時受賞のほうが多い。
第3回が同時受賞となったのは、第2回が受賞作なしだったからという話もある。後年、小田が『文学青春群像』(1964年)で回想している。


小林が八月の或る日、(中略)妻に次のように言ったのだった。

「今度の芥川賞は、第二回には受賞者が無かったので、多分二人もらうことになるかも知れないそうですよ、佐藤さんの話では小田さんは有力な候補だそうですよ」云々。

(小田嶽夫『文学青春群像』178頁、1964年、南北社)


「小林」とは佐藤春夫夫人の兄で、文学者に原稿用紙を売って歩いていた男だそうである。関係者ではないが、関係者に比較的近しい人間の発言である。
現在では同時受賞は驚くことではないが、当初は例外的な措置だった可能性がある。ただし、この次の第4回も2作同時受賞ではある。

1936年上半期とはどんな時代だったのか

1936年上半期とは、どんな時代だったのだろうか。
二・二六事件が起きている。前回も書いたが、この日はちょうど第2回芥川賞の選考会が行われる日だった。陸軍青年将校が「昭和維新」を目論みクーデターを起こした。総理大臣だった岡田啓介はこの事件の影響で辞任している。後任の第21代総理大臣には広田弘毅がつく。
3月には、ヒトラーがドイツ軍にラインラントへ侵攻することを命じた。これはヴェルサイユ条約違反だったが、イギリスとドイツは対処することができなかった。
4月になると、ムッソリーニ率いるイタリア軍がエチオピアを制圧した。この行為は国際社会の反発を招いたが、有効な対策は施せなかった。このあと、イタリアはナチス・ドイツとの同盟を結ぶことになる。
スペインでは左右両勢力の対立が激化し、内乱が起きようとしていた。1936年の初頭、スペインの画家サルバドール・ダリは「茹でたインゲン豆の柔らかい構造(内戦の予感)」というタイトルの絵画を残している。

絵画は所蔵するフィラデルフィア美術館のWebサイトで見られる(外部リンク

この絵は内戦の恐怖を主題にしている。しかし、これを描いた時点ではまだスペインでは内戦は起こっていない。だが、情勢はどんどん悪化していたようだ。一人の画家に予言めいたインスピレーションを与えるほど、時代の緊張感は増していた。
この状況が戦争に向かって着実に進んでいることがわかるのは、その後を生きる私たちだけである。

「コシャマイン記」とはどんな小説なのか

1936年上半期、血生臭いアイヌの戦い「コシャマイン記」、孤独な中国生活を描く「城外」が同時受賞。「芥川賞をぜんぶ読む」第2回 -画像-01

受賞作の「コシャマイン記」は北海道に先住するアイヌ民族と、その地に跳梁する日本人との戦いを描いた小説である。アイヌ民族のコシャマインの一代記だ。巫女カピナトリが伝える神謡という体裁が取られている。
あらすじはこうだ。

若い首長ヘナウケは日本人の大軍に殺されてしまう。その妻シラリコと息子コシャマインは逃げ、アイヌの集落を転々とする。時には仲間だと思っていた同族にも裏切られながら、2人は北海道の地を突き進んでいく。青年になったコシャマインは立派な英雄になるべく修行を始める。コシャマインは日本人によるアイヌの蹂躙を許せない。しかし、日本人が「弦のない弓」(銃のこと)を用いていることもあって形勢は悪くなっていく。また、アイヌの若者は日本の食事や日本酒によって、だんだんと懐柔されていくのだった……。

「コシャマイン記」は血生臭い動乱の争いを描いた小説である。コシャマインは形勢が不利だと分かりながらも、自らの血統に恥じない戦いをしようとする。日本人の読者は、コシャマインに感情移入すればするほど、自分は蹂躙する側の日本人であることに動揺することになる。
コシャマインという名前に関して解説が必要だろう。コシャマインとはアイヌ民族の歴史に実際に出てくる名前である。1456年、アイヌと日本人の鍛冶職人との言い争いから、鍛冶職人がアイヌを刺殺する事件が起きた。その事件をきっかけに始まったアイヌ軍と日本人の争いが、いわゆる「コシャマインの戦い」であり、コシャマインとはアイヌ軍を率いた首長だった。この争いは日本側の武田信広が、コシャマイン父子を射殺したことで幕を閉じたという。
しかし、このコシャマインと「コシャマイン記」のコシャマインはどうやら別人のようである。三田新聞の1936年9月14日号に鶴田が書いている。鶴田によれば「コシャマイン記」とは「コシャマインの戦い」からさらに約100年後を舞台にしているそうだ。1529年〜1668年のあいだの出来事だという。「(出づべくして出でなかった)一英雄として仮想された」と書かれている。
では、この作品が選ばれた理由は何なのだろうか。選評を見てみよう。

「「コシャマイン記」は、古いとか新しいとか云うことを離れて、立派な文学作品であると思った」(菊池寛)
「古朴な筆致の取材の悲痛なのと相俟って異彩のある文学をなしている」(佐藤春夫)
「エピックと、文体とがよく一致していて、素朴愛すべき調子を出している」(小島政二郎)
「二篇入賞ならば、鶴田氏の「コシャマイン記」は、私も先ず選びたい」(川端康成)
「この哀れな歴史のやうな物語は今どきに珍しい自然描写などもあり、(中略)文明と野蛮とのいみじい辛辣な批判がある」(室生犀星)
「筋書のような感じもするが、昔風の史話として面白い作だと思う」(瀧井孝作)
「鴎外の或種の翻訳物を読む感じがあった」(佐佐木茂索)

総じて、北海道の自然と、悲痛な歴史を書き切ったことが評価されたようである。
著者の鶴田はアイヌの人間ではない。だが、鶴田は20代前半の1920年〜1922年ごろの間、北海道に在住しており、そこでアイヌ民族とも交流をしている。着想はそこで得たようだ。
この受賞は周囲に意外な印象を与えたらしい。というのも、鶴田が社会主義文学集団に所属していたことがあるからだった。これは文藝春秋とは対立関係にあった。
アイヌ民族を題材にした小説はほかに武田泰淳の「森と湖のまつり」がある。また、知里幸恵『アイヌ神謡集』では、アイヌ民族の人間である知里が、アイヌに伝わる神謡を日本語に訳した。知里は本書を刊行後、19歳で夭逝しており、貴重な記録となっている。
ほかに漫画では『ゴールデンカムイ』が週刊ヤングジャンプで連載中だ。北海道を舞台に、日露戦争の元兵士とアイヌの娘が、金塊の在り処を巡って戦いを繰り広げていく。こちらは4月からTVアニメも放映予定である。

同時受賞の「城外」はどんな小説か

さて、同時受賞した「城外」はどんな物語だろうか。
「城外」は、中国は杭州の領事館に赴任した書記生の重藤が主人公である。25歳の彼は、領事館での生活に退屈しつつ、そこの家事手伝いの女性と関係を持ち、それが周囲にバレることを恐れながら生活している。文学を愛好し、詩人になることを夢見ているが、現在の自分とその理想は遠く隔たっている。
しかし、そうやってぼんやりと暮らしながらも、重藤の生活圏の外では、大きな動乱が起きている。国民革命軍が南方から攻めてきており、杭州にも迫ってきているのだ。
この小説は退屈な生活と時代の動乱、その対比を描いている。「城外」というタイトルもその状況を暗示しているのだろう。
著者の小田は外務省に勤務していたことがあり、実際に杭州領事館に派遣されていたことがある。1924年8月に赴任した小田は、1928年まで杭州に滞在していた。そのときの経験を元に書かれたのがこの小説である。
小田の『文学青春群像』にこう書かれている。小説家を志して外務省を辞めた小田だったが、「新潮」にデビューできたものの、生活苦がつづいていた。小田はその時期「無限の寂寥感」を感じていたのだという。


私はやり切れなくなって、私の去って行った若年時を、呼びもどしたい思いでいっぱいになった。併し、そんなことは出来るものではない。そのうちに私は無性に杭州時代の生活が書いて見たくなった。むろん、思い出として書くのではなく、書くことによってその時代を再生活するのであった。

(小田嶽夫『文学青春群像』1964年、南北社)


そうして、小田は「城外」を書き上げた。それを改造社の編集者に渡したが掲載にはならず、小田はやむなく中国人留学生に日本語の家庭教師をして生活費を稼ぎ、執筆から1年以上経ってから、同人雑誌にこれを載せることにした。すると芥川賞の候補に選ばれ、受賞となったのである。
さて、「城外」はどう評価されたのか。選評を見てみよう。

「現代物の中では、一番自分の心に残った」(菊池寛)
「少々清新な味に欠けるもので、(中略)十年この道に努力した跡はさすがに顕著で老成した味の尊重すべきもの」(佐藤春夫)
「入選しても異存はない。(中略)長年の勉強が認められたのは、喜ばしい」(川端康成)
「文章のしっかりしている点で一番感心した」(瀧井孝作)
「いまだしの感ありと席上で云ったら、行き過ぎている位永い事書いている人だという事で驚いた」(佐佐木茂索)

小島政二郎、室生犀星は言及していない。
小田が受賞の知らせを受け、文藝春秋社に行くと、審査員の佐佐木茂索が出迎えた。佐佐木は開口一番、「ぼくは君には反対だった」と告げたという(「芥川賞今昔」通信協会雑誌1969年10月号)。小田を推したのは佐藤春夫だった。
小田の執筆歴について触れられている選評がいくつかあるが、これは小田がデビューしたのが1927年で、候補になった時点で約9年のキャリアがあったからだろう。芥川賞は「新人」(あるいは「新進作家」)に贈ることが規定されており、しばしばその定義が話題になるが、第3回の時点で9年の執筆歴は「新人」に該当すると見なされていたことがわかって興味深い。
「城外」は今で言えばソフィア・コッポラの映画『ロスト・イン・トランスレーション』のような作品である。見知らぬ土地でぽつねんと過ごす孤独が描かれている。孤独のセンチメントには普遍性があるのだろう。

芥川賞を受賞した鶴田知也はどうなったのか

さて、受賞作家の2人はその後どうなったのか。
元々、プロレタリア文学を出自とする鶴田は、その後も文学者として社会運動に関わり続けた。戦後は「社会主義文学クラブ」を結成し、「社会主義文学」を発行した。また、1961年には「月刊農業共同経営」を創刊し、農業運動にも尽力した。
晩年は趣味で描いていた植物画を、画文集にして刊行もしている。
鶴田は芥川賞の影響力に関して、後年にこう振り返っている。

「ずいぶん効目のある『肩書』や大きな社会的『信用』を付与するのはおどろくべきことである』
(「わが人生にとっての文学賞」『潮』1971年1月号)。

芥川賞の受賞が、鶴田のその後の活動に大きく影響したことが伺える。
鶴田は1988年4月に亡くなった。出身地の福岡県豊津町には文学碑が建てられた。「コシャマイン記」は2009年に講談社文芸文庫に入っている。

小田嶽夫はその後どうなったのか

小田は中国に滞在していたことを活かし、中国文学の翻訳も始める。魯迅の『阿Q正伝』を翻訳し、『魯迅伝』も執筆した。
太宰治が「惜別」を執筆する際にも、中国に関する資料を提供している。また、小田が中国人留学生の日本語教師をしていたのは先述したが、文藝春秋社では有志に中国語の教室を開いていたようである。
戦中は陸軍報道班員としてビルマに従軍した。
戦後は勢力的に小説を書きながら、中国文学に関する本、石川啄木や坪田譲治の伝記も出した。
そして、周囲の文人との思い出を綴った『回想の文士たち』を出したあと、1979年に亡くなった。79歳だった。
あまり交わらない道に進んだように見える2人の受賞者にも、1つだけ共通点がある。どちらも受賞後、児童文学を書いたことである。
鶴田は1950年代になると児童文学を手がけるようになり、「小学六年生」などの児童誌に小説の連載を持つようになる。1955年に発表した「ハッタラはわが故郷」では、小学館第四回児童文化賞を取っている。
小田は同時期に「銀の鈴」や「青い鳥」に児童文学を書いている。高校生向けの雑誌にも書いた。
このとき鶴田、小田の児童文学を読んでいた少年も、今は80近いはずである。時代は否応なしに進んでいく。

第1回はこちら

  • 菊地良
  • PROFILE

    菊池良

    1987年生まれ。ライター、詩人。2009年に「二代目水嶋ヒロ」を襲名。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著・神田桂一)、『世界一即戦力な男』がある。

  • 西島大介
  • PROFILE

    西島大介

    漫画家。音楽活動の名義は「DJまほうつかい」。2004年『凹村戦争』でデビュー。『世界の終わりの魔法使い』『すべてがちょっとずつ優しい世界』など作品多数。「月刊IKKI」休刊により未完となった『ディエンビエンフー』が双葉社「月刊アクション」に移籍。完結を目指し『ディエンビエンフー TRUE END』第1巻を2017年8月10日刊行。「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」主任講師も務める。

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