「念頭に入れる」は「置く」の間違い?辞書を「ヨコ(種類)」と「タテ(刊行時期)」で比べてみた

2018/06/11

WRITERながさわ

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「念頭に入れる」は「置く」の間違い?辞書を「ヨコ(種類)」と「タテ(刊行時期)」で比べてみた

「念頭に入れる」という表現は誤りだと言われることがあり、国語辞書でもそのように説明しているものがあります。

たとえば、『大辞泉』第2版は「念頭に置く」の項で補説として以下のように述べています。

「考えに入れる」などとの混同で、「念頭に入れる」とするのは誤り。

中学生向けの『例解新国語辞典』第9版も、

「念頭におく」は、誤って「念頭に入れる」といわれることもある。

と、「念頭に入れる」が現に使われている表現であることを示しつつ、誤りであると注意を促しています。

しかしながら、「誤り」「誤用」だと言われることのある表現の中には、実際にはそうとも言い切れないものが多数含まれています。「足元をすくわれる」や「的を得る」などは誤用だと言われて久しく(※注)、現にそう断言する辞書もります。しかし文献にあたってみると、どちらも特に問題のない言い回しだと考えられることが分かっています。辞書が「誤り」だと断じていたとしても、一歩立ち止まって、本当にそうだろうかと考えてみる必要があるのです。

※(注)「足元をすくわれる」は「足をすくわれる」の、「的を得る」は「的を射る」の誤用と言われてきた。

実は「念頭に入れる」を認めている辞書もあります。『新明解国語辞典』第7版です。

ねん とう【念頭】 考え(のうち)。「…が―にある/―に△置く(入れる・無い)/かっとなってしまい、先程の注意が全く―から去ってしまった」

用例として「念頭に入れる」を挙げており、「誤用」であるというような注記はありません。このように辞書間で見解が異なっていると、なおさらただちに「誤用」であると決めつけてしまうのにはためらいを感じます。

辞書を「ヨコ」と「タテ」に引き比べる

「『念頭に入れる』誤用説」が妥当かどうか検討すべく、辞書を「ヨコ」と「タテ」に引き比べてみることにしましょう。

「ヨコ」に比べるというのは、現在書店で販売されている辞書を引き比べるということ。「タテ」に比べるというのは、それらの辞書の旧版や、かつて刊行されていた辞書の記述まで確かめるということです。それぞれ、「共時的な比較」「通時的な比較」と言い換えることもできます。現時点での各辞書の見解を確認し、その見解をいつ・どの辞書が示しはじめたのか明らかにした上で、改めて「『念頭に入れる』誤用説」の正否を見極めたいと思います。

まずは「ヨコ」に比べた結果を見てみましょう。2000年以降に刊行された主な小~中型の辞書で、「念頭に置く」「念頭に入れる」がどのように扱われているかをまとめたのが、以下の表です。

※記号の見方
●=句項目として立項されている
○=「念頭」の項の用例に挙げられている
×=「誤り」とされている
※辞書名は、「国語辞典」「辞典」が含まれるものについては、これを省略。辞書名の後の( )内は版数・版名で、( )がないものは初版。以下同じ。

辞書名 刊行年 念頭に
置く
念頭に
入れる
新潮現代(2) 2000
小学館
日本語新
2005
大辞林(3) 2006
明鏡(2) 2010 ×
新明解(7) 2011
新選(9) 2011
岩波(7新) 2011
大辞泉(2) 2012 ×
集英社(3) 2012
旺文社(11) 2013
三省堂(7) 2014
三省堂
現代新(5)
2015
例解新(9) 2016 ×
現代国語例解(5) 2016
学研現代新(6) 2017
広辞苑(7) 2018

「念頭に置く」は『新潮現代国語辞典』を除くすべての辞書が用例もしくは句項目として掲げている一方、「念頭に入れる」を採用しているのは『新明解国語辞典』だけ。そして、冒頭で挙げた『例解新国語辞典』『大辞泉』に『明鏡国語辞典』を加えた3冊が、「念頭に入れる」を誤りだと断じています。やはり、現時点では「念頭に入れる」の形勢はかなり不利です。

ここから、「タテ」の比較、通時的な比較を試みます。まず「『念頭に入れる』誤用説」を採る3種の辞書を旧版にさかのぼり、この説がいつから辞書に載るようになったのかを確かめてみます。結果は以下の通り。

辞書名 刊行年 念頭に
置く
念頭に
入れる
例解新 1984
例解新(2) 1987
例解新(3) 1990
例解新(4) 1993
大辞泉 1995
例解新(5) 1997
大辞泉
(増補・新装)
1998
例解新(6) 2002
明鏡 2002
例解新(7) 2006
明鏡(2) 2010 ×
例解新(8) 2012 ×
大辞泉(2) 2012 ×
例解新(9) 2016 ×

なんと、初めて「『念頭に入れる』誤用説」を採り上げたのは現行の『明鏡国語辞典』第2版が最初でした。刊行は2010年で、ごく最近です。『例解新国語辞典』『大辞泉』は、『明鏡』の記述を承けて「『念頭に入れる』誤用説」を取り入れたものとも思えます。

なお、国語辞書以外の辞書では、『明鏡国語辞典』と同じ編者による『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(2007年)も「念頭に入れる」を誤りだとしています。

これに真っ向から反対する『新明解国語辞典』の旧版も確かめてみると、「念頭に入れる」は1981年の第3版から用例に加わっていることがわかりました。

辞書名 刊行年 念頭に
置く
念頭に
入れる
新明解 1972
新明解(2) 1974
新明解(3) 1981
新明解(4) 1989
新明解(5) 1997
新明解(6) 2005
新明解(7) 2011

とはいえ、「念頭に入れる」は「念頭に置く」より一足遅れて収録されています。ということは「念頭に置く」のほうが伝統的な形で、「念頭に入れる」は新しく生まれたものなのでしょうか。もし、「念頭に置く」が古くからあり、「念頭に入れる」が新しい形なら「『念頭に入れる』誤用説」にも一定の裏付けがあると言えるかもしれません。

「念頭に置く」はいつから?

こうなったら、「念頭に置く」が辞書に載るようになった時期にまでさかのぼる必要がありますね。「そんなもの、最初の最初から載っていたんじゃないのか」とお思いの方もいるでしょうが、近代的国語辞書の祖である『言海』(1889~91)には「念頭に置く」はありませんでした。「念頭」の用例にあるのは「念頭に掛ける」なのです。

ねん-とう(名)|念頭| 心ノ上。心頭。「―ニ掛ケテ」

今日ではほぼすべての辞書が採り上げている「念頭に置く」にも、辞書の仲間入りを果たした時点があるわけです。考えてみれば当たり前です。

では、それはいつなのでしょうか。明治期から今日に至るまでの主だった辞書を「タテ」に比較してみましょう。今回は、「念頭に掛ける」についてもチェックすることにします。

辞書名 刊行年 念頭に
置く
念頭に
入れる
念頭に
掛ける
言海 1889
~91
日本大
辞書
1892
~93
帝国大 1896
辞林 1907
大日本 1915
~19
広辞林 1925
小辞林 1928
大辞典 1934
~36
辞苑 1935
明解 1943
明解(改訂) 1952
ローマ字で引く国語新 1952
辞海 1952
広辞苑 1955
例解 1956
角川 1956
新選 1959
旺文社 1960
三省堂  1960
岩波  1963
旺文社
(中型新)
1965
新潮 1965
三省堂新国語中 1967
清水 1969
広辞苑(2) 1969
角川(新) 1969
日本国語大 1972~76
新明解 1972
広辞林(5) 1973
角川国語中 1973
学研国語大 1978
新明解(3) 1981
国語大 1981
三省堂(3) 1982
例解新 1984
新潮現代 1985
現代国語例解 1985
国語大辞典言泉 1986
三省堂現代 1988
大辞林 1988
福武 1989
講談社日本語大 1989
清水新 1990
現代国語例解(2) 1993
集英社 1993
学研現代新 1994
岩波(5) 1994
大辞泉 1995
三省堂現代新 1998
明鏡 2002
学研現代新(4) 2007

表を眺めると、1950年代の「念頭に掛ける」から「念頭に置く」への交代劇が見て取れます。象徴的なのは『広辞苑』です。1955年の初版では用例に「念頭にかける」を挙げるのみで「念頭に置く」はありませんでしたが、1969年の第2版では「念頭に置く」が句項目として掲載された上、「念頭にかける」は退場してしまいました。1960年代以降の辞書で「念頭に掛ける」を載せているのは、大型国語辞典の『日本国語大辞典』およびその系譜に連なる『国語大辞典』、そして『新潮国語辞典』『角川国語中辞典』とわずかです(『大辞林』も、「念頭に置く」の同義語として示してはいます)。

調査したうち、「念頭に置く」を載せた最も早い辞書は、1952年の『明解国語辞典』改訂版でした。その後、『ローマ字で引く国語新辞典』や『例解国語辞典』などが追随し、徐々に多くの辞書が載せるようになっていったという経緯が浮かび上がります。新語の収録に保守的な『岩波国語辞典』は、初版から第4版まで「念頭に置く」を載せず、1994年の第5版になってようやく用例として収録しました。

「念頭に置く」が日本語として定着し、晴れて辞書に載ったのは戦後になってからで、『新明解国語辞典』が「念頭に入れる」を取り入れるのより約30年早いだけということが明らかになりました。また、「念頭に置く」以前は「念頭に掛ける」が普通だったことも推察されます。となると、「念頭に置く」が伝統的で、「念頭に入れる」は新しい誤った言い方だという説は疑わしいものになります。

実例を探してみると……

さて最後に、実際の例に簡単に触れておきましょう。

『日本国語大辞典』は、「念頭に置く」の項で1910年代の島崎藤村の例を引いており、この頃にはすでに「念頭に置く」が使われていたのは確かです。

「念頭に入れる」では、1920年に吉野作造が「一ツ念頭に入れて置かなければならないのは、国家と社会との概念上の区別である」と書いた例を見つけられます(神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫 思想問題(2-109)・「横浜貿易新報」1920.1.27-1920.1.29)。また、1912年には「念頭に入れ置く」という例も確認できます。

「念頭に置く」と「念頭に入れる」は発生もほぼ同時期である可能性が高く、現在では「念頭に置く」が優勢であるとしても、「念頭に入れる」が誤りであるとは言えないと考えられます。

「誤用」説に限らず、辞書の記述に引っかかりを覚えることがあった場合、辞書を「ヨコ」と「タテ」に引き比べてみると、解決に一歩近づけることがあります。辞書の旧版は図書館にもなかなか揃っていませんが、調べのつく範囲だけでも当たってみるといいでしょう。

  • ながさわさん
  • WRITER

    ながさわ

    一介の辞書コレクター。暇さえあれば辞書を引いている。「四次元ことばブログ(http://fngsw.hatenablog.com/)」で辞書や言葉について発信中。

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