2007年芥川賞は元歌手・川上未映子と、恩師に評価されるために書いた諏訪哲史

2018/10/25

WRITER文:菊池良/絵:つのがい

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2007年芥川賞は元歌手・川上未映子と、恩師に評価されるために書いた諏訪哲史

歌手出身の作家が2作目で受賞『乳と卵』

乳と卵

第138回の受賞会見には、おかっぱのカツラを被る女性がいた。川上未映子の『乳と卵』が受賞したのだ。

『乳と卵』は3日間の物語だ。東京に住む「私」のもとに、姉の巻子とその娘・緑子がやってくる。
2人は数日間、東京に滞在する予定で、「私」の家に泊めてもらうことになったのだ。巻子が東京にきた理由は豊胸手術を受けるためだった。巻子は「私」に対して、豊胸手術にかける思いを熱弁する。
巻子と緑子は関係がうまくいっておらず、緑子は筆談のみで会話するようになっていた。それは巻子への反発と、初潮を迎えて変化した自分の身体への戸惑いからだった。
そんな2人の媒介となりながら、「私」は3日間を過ごすことになる──。

『乳と卵』は全編に渡り、緑子の筆談を除いて、「私」の喋り言葉で書かれている。それがとても心地よい。改行が少なく字が詰まっていて、一見すると読みにくそうに思える。だが、読み出すとぜんぜん違うことがわかる。「私」の生き生きとした大阪弁が聞こえてくるようだ。『乳と卵』は耳で感じる小説である。

CDを売るために始めたブログで文筆業へ

川上は小説家になる前は、シンガーソングライターだった。
2000年、24歳のときにメジャー契約。3枚のアルバムを出した。しかし、本人によると「それぞれ800枚くらい」しか売れなかったという。5年ほど活動したが、契約が切れた。
文章を書き始めたのは、アルバムの宣伝のためにブログを始めたのがきっかけだった。ブログは2006年に書籍化されている。
メジャー契約が切れることになり、これからどうしようと考え、詩を書き始めた。自ら雑誌『ユリイカ』に売り込み、後日原稿依頼がくる。それを読んだ『早稲田文学』の編集者が、小説の執筆を勧めた。そうして書かれたのが『わたくし率 イン 歯ー、または世界』だ。『わたくし率~』は芥川賞候補になる。
2作目の『乳と卵』で芥川賞を受賞。村上龍に「まるでかつてのアルバート・アイラーの演奏を想起させるような、ぎりぎりのところで制御された見事な文体」とジャズ・ミュージシャンを引き合いに出されて評された。音楽活動をしていたことが文体にも影響していたのかもしれない。


乳と卵(らん) (文春文庫)

30年ぶりのダブル受賞をした『アサッテの人』

30年ぶりの快挙だった。群像新人文学賞と芥川賞のダブル受賞は、村上龍以来のことである。その作品、『アサッテの人』を書いたのは諏訪哲史。
『アサッテの人』はこういう作品だ。

「私」の叔父が行方不明になった。
叔父は2年前に交通事故で妻・朋子を亡くし、それ以来1人暮らしだった。ところがある日、勤めていた会社も辞め、「しばらく旅行に出ます」という手紙を親族に残していなくなる。
叔父には奇妙な癖があった。前後の脈絡なく「ポンパッ」と叫ぶのである。
「ポンパ」とは何なのか? 「私」はマンションに残されていた叔父の日記、叔父の習作詩、朋子の日記を参照しながら、「私」は「アサッテの人」という小説を書き綴る。叔父を分析して見えてきたのは「アサッテ」という概念だった──。

『アサッテの人』は奇妙な構造の小説だ。冒頭、詩人のアントナン・アルトーの引用から始まり、移動するバスでの心情描写がしばらく続いたあと、これは『アサッテの人』の最終稿の書き出しである、と急に言われる。
ここにパラドックスが生じる。読者は小説『アサッテの人』の冒頭を読んでいて、印刷された本を読んでいる以上、それは最終稿のはずである。なのに、「最終稿の書き出しである」と書かれる。では、「最終稿の書き出しである」と書かれているこれは何の原稿なのか。
読者は『アサッテの人』という小説を読もうと本を開くと、『アサッテの人』という小説を書こうとしている「私」が書いた文章を読むことになる。それが『アサッテの人』という小説なのである。
頭が痛くなるようなパラドックスだが、これが小説でしか味わえない構造なのは間違いない。

恩師を振り向かせたくて書いただけだった

諏訪は2007年に『アサッテの人』で群像新人文学賞に選ばれデビューし、芥川賞を受賞した。だが実はこの作品は2007年に書かれたものではない。
『アサッテの人』を書いたのはその約8年前の1998年~1999年にかけて。その小説が2007年に芥川賞を受賞したのは、少々複雑な経緯がある。
諏訪は1969年、愛知県出身。高校時代にドイツ文学者・種村季弘の本にハマり、種村が勤める國學院大學に進学した。
在学中から仲間たちと文芸同人誌を始め、詩や小説を書いては、種村に送った。しかし、いくら書いても種村から感想はもらえない。
大学卒業後、名古屋鉄道に就職してからもそれは続けていたが、種村を「ぎゃふんと言わせる」ものを何とかして書かないと、死んでも死にきれないと思い始める。
そして、6年間勤めた会社を退職し、2年かけて書き上げたのが『アサッテの人』である。それを種村に送ると、手紙でひと言「面白い」と返ってきたという。諏訪はこれでいつでも死ねると思ったという。
デビューを目指して書いたものではなかったので、『アサッテの人』はそのまま引き出しにしまい込まれた。諏訪も配管資材商社に再就職し、会社員となった。
そのまま行けば『アサッテの人』は発表されずに終わった。しかし、転機が訪れる。しばらくして参加した高校の同窓会で、担任の教師に「おまえは今も小説をやっているのか」と聞かれる。それを叱咤されたように感じた諏訪は『アサッテの人』を引っ張り出して群像に投稿した。それが見事受賞となったのだ。
そのまま芥川賞を受賞し、諏訪は一躍、時の人となった。8年前の小説でいきなり芥川賞を取った諏訪だが、その後も『りすん』、『領土』などコンスタントに作品を発表。
自分は消費されても構わない、一冊の全集を残せればいい、と覚悟を決める。諏訪はつねに自分の審美眼を越える作品を書き続けるのだ!


アサッテの人 (講談社文庫)
  • 菊地良
  • PROFILE

    菊池良

    1987年生まれ。ライター、詩人。2009年に「二代目水嶋ヒロ」を襲名。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著・神田桂一)、『世界一即戦力な男』がある。

  • つのがいさん
  • プロフィール

    つのがい

    漫画家・イラストレーター。静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。

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