2001年芥川賞、僧侶として初受賞の玄侑宗久、サブカル教養を活かすブルボン小林こと長嶋有

2018/12/06

WRITER文:菊池良/絵:つのがい

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2001年芥川賞、僧侶として初受賞の玄侑宗久、サブカル教養を活かすブルボン小林こと長嶋有

現役の僧侶が初の芥川賞『中陰の花』

中陰の花

2001年上半期の芥川賞は玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)の『中陰の花』に決まった。受賞時、玄侑は福聚寺の副住職だった。芥川賞を現役の僧侶が取ることは初めてのことだった。僧侶が書いた『中陰の花』はこんな話だ。

89歳のウメさんは「おがみや」として有名で、その不思議な力を求めて「信者さん」たちが悩みごとを相談しにいっていた。そのウメさんには予知能力めいたものがあるとされていて、自分の死亡日も予言していた。一度目の予言は医者の尽力もあってか免れたのだったが、二度目に予言した日に、ウメさんは亡くなってしまう。
僧侶の則道はウメさんの死に立ち会い、医者の横で、ウメさんにお経を唱えていた。則道は子供の頃からウメさんに可愛がってもらっており、ウメさんに関する不思議な話も耳にしていた。
則道は僧侶だが、地獄や極楽があるかは「知らん」とあっけらかんと言う。輪廻のことも分からない。そんな則道の妻である圭子は「光が通るのを見る」と時おり霊的な体験を口にする。則道は半信半疑だが、否定はできない。僧侶でありながら、霊的なものに対してどこか距離を取る則道。そんな則道は、ウメさんの死をきっかけにして、生と死を見つめ直す。

『中陰の花』がさしたる異論もなく受賞が決まった。なかなか褒めることのない石原慎太郎も「今回は全体に候補作の水準が高」かったと言い、玄侑に関しては「文学にとっての未曾有かつ正当な領域を開拓していくことを期待している」と締めている。

福島で僧侶として小説を書き続ける

玄侑は1956年、福島県出身。
父親は福聚寺の住職だが、東京大学の国文科を卒業し、一時期は高校の国語教師も兼職していた。その素養もあったのか、玄侑も中学時代から詩を書き、高校では童話研究会に所属して童話を書いた。そして、慶應義塾大学文学部に進学。文学同人誌に参加して小説を書く。
臨済宗は世襲制ではなかったが、継いでほしいという空気は感じていた。玄侑は大学卒業後、コピーライター、英会話教材の営業、ナイトクラブのマネージャーなど、さまざまな職を転々としながら小説を書いていた。父親には「27歳までは作家修行を続ける」と宣言。だが、27歳になる直前、小説が載る予定だった文芸誌が突如休刊する。そして、私淑していた哲学者の星清「文学と宗教で選べないなら、両方やるしかないんじゃないか」と言われたことをきっかけに、出家。天龍寺で3年間修行したあと、福聚寺の副住職となる。
小説の執筆を再開したのは出家してから17年後。京極夏彦『鉄鼠の檻』に出てくる修行僧の描写に衝撃を受け、僧侶の自分ならどう書くだろうと考え始めたのがきっかけ。執筆を再開して、1年間で約800枚の原稿を書いた。
2000年、「水の舳先」が雑誌『新潮』に掲載され、芥川賞候補となる。2001年、「中陰の花」が芥川賞を受賞した。小説を書くことも僧侶としての活動だという。『禅的生活』、『息の発見』(共著・五木寛之)など、禅や仏教に関する書籍も多い。
2011年の震災後は復興構想会議のメンバーとして出席した。「たまきはる福島基金」の理事長も務める。


中陰の花 (文春文庫)

母子家庭の男の子の成長物語『猛スピードで母は』

2001年下半期の芥川賞は長嶋有『猛スピードで母は』が受賞した。子供の視点で大人の世界を観察した小説だ。

慎は北海道のM市に暮らす小学6年生。母と2人暮らしで公団住宅に住んでいる。祖父と祖母は車で移動してしばらくしたところに住んでいて、2月に1度は会っている。
ある日、慎は「映画に行く」と言われて車に乗せられる。慎は車中で母親が知らない男と一緒に写っている写真を見つけた。母は言う。「私、結婚するかもしれない」。車は猛スピードで走っていく──。

母親の再婚というデリケートな話題が、慎のどこかドライな視点で進んでいく(慎は友達と下校するときでも、黙って下校するような男の子だ)。なんだか他人事なのは、自分の知らない世界で話が進んでいるからだろう。そうやって自分と関わる事柄でも傍観者だった慎は、母親の突飛な行動をきっかけに、主体性を獲得していく。これは男の子の成長物語だ。
『猛スピードで母は』ではなく、前回候補になった「サイドカーに犬」を評した言葉だが、長嶋の持ち味を端的に現していると思うので、ここに引用したい。
「とくに新しい思想や哲学があるわけでもなさそうなのに、この作品は新しい、と本能的に感ずる」(日野啓三)

漫画やゲームの教養をベースに、純文学を書く

長嶋は1972年生まれ。ブルボン小林名義でコラムニスト、長嶋肩甲名義で俳人としても活動している。
小中学生のころから書くことが好きで、高校に入ってから新井素子や火浦功といった作家を読んだ。高校卒業後は東洋大学に進学して上京。1997年に就職するも、2000年6月に退職。その直後、「サイドカーに犬」で文學界新人賞を受賞してデビューする。2作目の「猛スピードで母は」で芥川賞を受賞。2007年には『夕子ちゃんの近道』で第1回大江健三郎賞も受賞した。
2011年の震災の前後に、「書くことがない」という状態にぶつかる。そこで実行したのは旅行する、社会と切り結ぶ、実験的な文体に挑戦する、の3つだった。ツイッターではユーザーと「それはなんでしょう」という言葉遊びをやった。その模様は2013年に出版された『問いのない答え』で小説化されている。
長嶋のユニークさは、その下地に文学性をあまり感じないことだ。コラムで取り上げるものも、漫画やゲームといったものが多い。自身の作品を漫画化したり、4コマ漫画を作る活動をしていたりもする。


猛スピードで母は (文春文庫)
  • 菊地良
  • PROFILE

    菊池良

    1987年生まれ。ライター、詩人。2009年に「二代目水嶋ヒロ」を襲名。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著・神田桂一)、『世界一即戦力な男』がある。

  • つのがいさん
  • プロフィール

    つのがい

    漫画家・イラストレーター。静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。

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