BUMP OF CHICKENはもはやブッダだ「僧侶だけど煩悩まみれ」第3回

2019/01/23

WRITER(文)稲田ズイキ(絵)しりもと

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僧侶だけど煩悩まみれ

煩悩まみれな僧侶、稲田ズイキによる連載企画「僧侶だけど煩悩まみれ」。俗世のカルチャーから仏教のエッセンスを引き出し、日々の煩悩との向き合い方を考えていきます。


ぶっちゃけて言うと、僧侶だけど、もう説法をやめたい。
僕の仏教の話なんか聞くよりも、BUMP OF CHICKENの曲を聴いた方が、何万倍も心が救われるし、仏教のこともよくわかるからだ。

“君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の存在は 居なくなっても ここに居る”
「supernova」作詞:藤原基央

BUMP OF CHICKENが唄うテーマは、生と死。存在と喪失。出会いと別れ。
ボーカル藤原基央さん(リスペクトを込めて藤くんと呼ぶことにする)の書く歌詞の世界観は「深い」という言葉が陳腐に聞こえるくらい、ものすごく深い。

若い頃からBUMPを聴き、生きる力をもらい続けている自分にとって、BUMPの世界観は他のアーティストに比べ、どうも異次元にいるような気がしてしょうがなかった。
思い出補正とかじゃなく、何か完成された哲学を感じていた。

でも、最近やっとわかった気がしたのだ。
「藤くんの歌詞の世界観を解き明かす鍵は、仏教なんじゃないか?」と。

もちろん「藤くんが仏教を勉強している」などといった情報は探しても見つからない。藤くんは仏教を意識せずに、ブッダと同じ「悟り」の境地に至っているというのだろうか。

すごい。それはつまり「野生のブッダ」だ。

BUMP OF CHICKENの歌詞の中でも、深遠な世界観が垣間見えると個人的に思ったのが、以下の3点。
・なぜBUMPは「イマ」を唄うのか
・なぜBUMPは「僕=君」を唄うのか
・なぜBUMPは悲しみを受け止めているのか

これらの謎について、仏教を鍵に考えてみたいと思う。

なぜBUMPは「イマ」を唄うのか~諸行無常~

BUMP OF CHICKENが繰り返し唄にしてきたのが「どんなものにも終わりが来る」というテーマである。

“わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期は来るでしょう”
「モーターサイクル」作詞:藤原基央
“齢を数えてみると 気付くんだ 些細でも歴史を持っていた事
それとほぼ同時に 解るんだ それにも終わりが来るって事”
「supernova」作詞:藤原基央

この世が無常であるという世界観の中で、BUMP OF CHICKENが唄うもの。
それが「」である。

“ボクはイマをサケブよ”
「ガラスのブルース」作詞:藤原基央
“本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ”
「supernova」作詞:藤原基央

藤くんは執拗とも言えるくらいに、どの曲でも「今」を唄い続ける。
なぜここまでして、「今」を思い続けているのだろうか?

「なるほど、いつかどうせ死ぬから、今を大切にしようという話ね」

そんな声が聞こえてきそうだが、そう単純ではないのが藤くんがブッダたる所以。
「いつか死ぬから今を一生懸命生きよう」という簡単なロジックで、藤くんは「今」を捉えてはいない。

“「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている”
「天体観測」作詞:藤原基央

たとえば、「天体観測」の中では明らかに、2種類の「今」が使い分けされている。藤くんが「今」に対して特別な認識を抱いていることは確かだ。

藤くん独特の「今」の捉え方がわかるのが、次の曲。

“そこに君が居なかった事 分かち合えない遠い日の事
こんな当然を思うだけで すぐに景色が滲むよ
(途中略)
そこに僕が居なかった事 今は側に居られる事
こんな当然を思うだけで 世界中が輝くよ”
「R.I.P.」作詞:藤原基央

この曲は、もしかしたら存在したかもしれないし、存在しなかったかもしれない「今」を唄っている。
彼の唄う「今」は、刻々と過ぎていく現在の時刻のような、時間的な観念だけで理解できるものではない。
あれがあったからこれがある。そんな因果で繋がった、過去と地続きの「今」なのである。

“出来るだけ離れないで いたいと願うのは
出会う前の君に 僕は絶対出会えないから
今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから
それが未来の 今のうちに ちゃんと取り戻しておきたいから”
「宇宙飛行士からの手紙」作詞:藤原基央

普通、人は時間を認識する際に「過去→現在→未来」の順で認識する。時計の回る順がそうであるかのように。
ただ、驚くことに、藤くんの時間は、自分を軸に据えて「未来→現在→過去」の順に流れている。未来から順番に自分に迫ってきて、どんどんと過去になっていくというイメージだ。「僕らの時計は止まらないで動くんだ」のように、時間に所有格を付すのも、こういった時間の捉え方があるからだ。

つまり、藤くんの唄う「今」をまとめるならば、過去のどの一瞬がなかったとしても自分の「今」は存在せず、また、刻々と過ぎていくこの「今」も過去になるように、この「今」は「今」しか生きられない。だからこそ、この「今」のありがたさを噛みしめようということだ。

藤くんは、自分の「命」という単位ではなく、一瞬で過ぎていくこの「今」に対して、生死を感じている。

だからこそ、「明日」が僕らを呼んだって返事もろくにしないし、本当に欲しいのは「思い出」じゃない今なんだと唄う。覗き込むべきは未来でも過去でもなく「イマ」なのだと。

これらの藤くんの時間に関する思想を仏教的に説明すれば、「諸行無常」である。
この世のすべての存在は、一瞬一瞬で変化し続けていて、不変のものなんて存在しない。
ブッダが導いた真理だ。

だからこそ、ブッダは言う。
今を見つめなさい」と。「今もすぐに過去になる」からと。

あれ、藤くんと言っていること一緒じゃないか!

なぜBUMPは「僕=君」を唄うのか~諸法無我~

僧侶だけど煩悩まみれ

BUMP OF CHICKENによく出てくる構図として「僕=君」というものがある。

“やっと会えた
君は誰だい?
あぁ そういえば 君は僕だ”
「ダイヤモンド」作詞:藤原基央
“ヘンだな 僕は君自身だよ 自分が信じられないのかい?”
「ランプ」作詞:藤原基央
“僕がここに在る事は あなたの在った証拠で”
「花の名」作詞:藤原基央

たしかにこうやって歌詞を振り返ると、自分と他人との境界線があいまいだ。
なぜ藤くんは、僕を君、君を僕と唄うのだろうか? 

「なるほど、人生の先輩として、同じ経験をしてきた身から僕たちに歌を歌ってくれてるんですね」

こんな声が聞こえてきそうだが、今回もまたそんなにシンプルな話ではない。
どうやら、藤くんはすべての存在を相対的な関係性の中に認識しているからである。
例えば、それは闇がなければ光の存在に気づくことができないように。

“『死』って言われると真っ先に『生』が思い浮かぶ。
逆に『生』って言われても真っ先に『死』が思い浮かぶ感じ。”
(MUSICA 2010年5月号 株式会社FACT発刊 より)

このインタビューからは、藤くんが生と死を切り離した概念だと捉えていないことがわかる。
生もまた死があるからこそ、概念づけられるのだ。

“お別れした事は 出会った事と繋がっている”
「ray」作詞:藤原基央

別れと出会いを切り離さず、繋がったものだと表現する。
それは「本当の大事さは 居なくなってから知るんだ」と唄う理由でもある。

すべての存在を相対的な関係性の中で捉える藤くんは、自己も他人の存在があってこそ与えられるものであることを「僕=君」で唄っているのだ。

だからこそ、喪失を味わったとしても、藤くんはその事実を悲観しない。

“君といた事をなくさないように なくしたことをなくさないように
どれだけ離れてもここにある 君がいるからどこまでだって”
「トーチ」作詞:藤原基央

君を失ったとしても、君を失ったという事実を忘れない限り、君は存在し続けると唄う。

無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて
「HAPPY」作詞:藤原基央

もしも大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて「空っぽ」があるのだと表現する。
それはそもそも藤くんが、存在を単独で認識するのではなく、「誰かがいるから自分がいる」という関係性の中で認識しているからだ。

これらの藤くんの存在に関する思想を仏教的に説明すれば、「諸法無我」である。
この世のすべてのものは、他者と関係なしに独立して存在しない、というブッダが導いた真理だ。
だからこそ、すべての存在は本質的には、空っぽ(「空(くう)」)なのだと、仏教ではよく言われる。

あれ、これも藤くんと言っていることと同じじゃないか!

なぜBUMPは悲しみを受け止めているのか? ~一切皆苦~

BUMP OF CHICKENの歌詞が僕らの心にしんと響くのは、僕らが無意識に感じている悲しみや苦しみを唄にしてくれているからだろう。

かといって、藤くんはその悲しい現実を情緒たっぷりに表現しようとはしない。
残酷なくらいリアリティたっぷりに表現するのである。

悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
「HAPPY」作詞:藤原基央

サビでこんなに悲しい現実を歌いあげるアーティストが、未だかつて存在しただろうか。
明るいメロディーとのギャップが、さらにその残酷な現実を浮き彫りにする。

物語はまだ終わらない 残酷でも進んでいく
おいてけぼりの空っぽを主役にしたまま 次のページへ
「firefly」作詞:藤原基央

希望でもなく絶望でもなく、極めてリアリティのある世界描写をする。
まるで、それがこの世の真理であるかのような悟り方をして。

ブッダはこの世界を「一切皆苦」だと言った。
「世の中には思い通りにならないことがたくさんある。自分にとって都合のいいことばかりは起こらない」という現実を出発点にしなさいと言ったのだ。

藤くんの残酷なまでにリアリティのある世界観に、このブッダの「諦め」と近いものを感じるのは僕だけだろうか。

BUMPを理解できる言葉があってよかった

以上ここまで、藤くんの「時間・存在・世界観」を、歌詞やインタビューの発言を元に分析し、「諸行無常・諸法無我・一切皆苦」というブッダの教えと照らして考えてきた。

実はこの「諸行無常・諸法無我・一切皆苦」という3つの教えは、仏教の中のベスト3くらいに大切なものなのだ(これに涅槃寂静が加われば「四法印」という4つの奥義になる)。

だから、藤くんの歌詞にこの3つが感じ取れるというのは、もうもはやBUMP OF CHICKENの楽曲が仏教だと言っても過言ではない、僕は一人の僧侶としてそう言い切りたい。南無藤原基央仏。南無ユグドラシル。

さらに言えば、BUMP OF CHICKENがありがたいのは、こんなに次元の違う思想を持ちながらも、一人の世界に閉じこもらず、僕たちに寄り添ってくれているところである。

時には、わかりやすいように、物語形式にして唄ってくれたり。
時には、めいいっぱい、具体的にイメージのできる話を唄ってくれたり。
そのスタンスも、ブッダと一緒だとしか、僕には思えないのだ。

他にも、急に宇宙の話をする点とかは、藤くんとブッダは本当によく似ていたりする。
藤くんのことを「野生のブッダ」と言いたくなる僕の気持ちが伝わっただろうか?
「オンリーロンリーグローリー」は「天上天下唯我独尊」としか読めないんだ、もう。

だから、「仏教すごいだろ! ブッダすごいだろ!」と言いたいわけではない。
僕が知りたかったのは「藤くんがどのような世界観に生きているのか?」それだけだ。だって、本当に好きだから。

2500年前から伝えられてきた仏教という思想が現代にあるおかげで、こんなにも僕は藤くんを理解できている、その事実が本当に嬉しいのだ。

とはいえ、「だから僕はもう説法をやめる!」と言ってしまう煩悩まみれな僕は、ブッダからしても藤くんからしても「修行不足だ」と言われるに違いない。

どうやら僕は、来世も解脱できず、ずっと前前前世をぐるぐる回ることになりそうだ。

  • 稲田ズイキさん
  • プロフィール

    稲田ズイキ

    26歳の僧侶。ライター。京都の寺の副住職ですが、寺に定住せずネットとリアルで煩悩タップリな企画をやっています。
    Twitter:https://twitter.com/andymizuki

  • しりもとさん
  • プロフィール

    しりもと

    イラストや漫画を描いています。 麺をよく食べます。
    Twitter:@shirimoto

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