辞書にのらないことばたち。なぜ「窓際」はあるのに「壁際」がないのか?

2019/04/24

WRITER(文)ながさわ(gif動画)葛飾出身

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辞書にのらないことばたち。なぜ「窓際」はあるのに「壁際」がないのか?

よく使われるのに辞書にのらないことばは多い

国語辞書に載っていないことばは無数にあります。我々がことばをいくらでも生み出すことができるのに対し、辞書の大きさは有限ですから、当たり前の話です。

人名や地名などといった百科的なことばはもともと立項しない方針の辞書も多くありますし、方言や、狭い範囲でしか用いられない業界用語や若者ことばなども、普通の国語辞書はあまり載せません。新語の場合、辞書に載せるとしても、当然ながらその語の誕生から辞書での立項までの間にはタイムラグが生じます。

一方で、上記のような条件に当てはまらない、国語辞書に載っていてもおかしくないのになぜか項目がないことばというものも少なくありません。

実は、普通のことばが案外辞書から漏れているという現象は、辞書の「あるある」なのです(ちなみに、この「あるある」も、多くの国語辞書には載っていません)。戦前の辞書から「司会」や「主食」といった当たり前のことばが欠落していたという話は、辞書クラスタの間では有名です(この意味の「クラスタ」も載せていない辞書が多数派です)。

国語辞書から「司会」が漏れている事実を新聞紙上で指摘したのは、言語学者の石黒修でした。そして、この記事を目にしたことがきっかけとなり、辞書にないことばを猛烈に集めはじめた人物がいます。『明解国語辞典』や『三省堂国語辞典』といった名だたる辞書を編纂した、見坊豪紀その人です。

見坊はその生涯を賭し、書籍・雑誌から街頭の看板に至るまで、ありとあらゆる場所からことばの使用例を集める「用例採集」に取り組みます。最終的に、見坊が作成した用例のカードは145万枚にも達しました。想像を絶する数です。見坊は、集めた用例にもとづいて日常的な日本語を国語辞書に補充し、ことばに「市民権」を与えることこそが自分の使命であると考えていたそうです。

趣味で中学から用例採集を続けてきた

かく言う私も、日々用例あつめに精を出しています。べつに辞書を作っているわけでもなく、特別な使命感を感じているわけでもありません。100パーセント趣味です。国語辞書に載っていないことばがまだこんなにあるのかと知って喜ぶことが目的といえば目的です。

私がことば集めの真似事をはじめたのは、中学生くらいの頃でした。最初は、辞書を引いても載っていなかった単語を手帳にただ書き付けておくだけでしたが、大学に入って見坊の用例採集の作法を知ってからは、実例と出典をしっかり記録することを覚え、ただ用例を集めるためだけに本を読むという“純粋な”用例採集にものめり込んでいきました。

といっても、趣味は趣味。もし見坊と同じ145万例を集めようと思ったら、今のままでは300年以上かかるくらいの、のんびりしたペースでやっています。

実は辞書にのらないことば「壁際」

前置きが長くなってしまいました。この連載では、一般的な国語辞書に載っていてもおかしくないのに立項されずにいることばたちを集めた用例とともに眺めてみます。これをもってことばに市民権を与えようとか、辞書に載せてもらおうとかいう大それた野望はありません。ただ、こんなことばが辞書にないものかということを知って、面白がっていただければと思うのみです。

さて、最初に採り上げることばは「壁際」です。

地味! 辞書から漏れていることばはその性質上どうしても地味なものが多くなります。覚悟してください。

単に「壁のそば」を意味する「壁際」ですが、どういうわけかほとんどの辞書に載っていません。立項しているのは、50万項目を誇る日本最大の国語辞書『日本国語大辞典』くらいのもので、中型の『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』にも、小型の辞書にもありません。

「壁際」の実例を見てみましょう。こんな当たり前のことば、わざわざ例を示すまでもないと言われるかもしれませんが、「辞書にない」と指摘する以上はやはり使われている証拠を示したいものです。

比較的最近のものでは、こんな例があります。

本の置き方ですが、基本は壁際、一部は床置きという状態でした。
――西牟田靖(2015)『本で床は抜けるのか』本の雑誌社 p.30
コンビニの売れ筋商品の多くは壁際に沿って並んでいる。
――『週刊現代』2016年4月30日号 p.20

まあ、言ってしまえば何の変哲もない用例ですが、実際に用いられていることを示す決定的な証拠です。

辞書にない理由をあえて考えれば、これは単に「壁」+「際」で理解できる単純な複合語で、立項の優先順位が下がるということは言えそうです。しかし、だとするとほとんどの辞書で同じく単純な「窓際」が立項されていることと釣り合いがとれません。

なぜ辞書に「窓際」はあるのに「壁際」がないのか。察しのいい方はお気づきでしょう。これには1970年代末からの流行語「窓際族」が絡んでいるようなのです。たとえば、『三省堂国語辞典』に「窓際」が立項されたのは1982年の第3版が最初で、用例として「窓際族」も添えられています。かの『広辞苑』の場合、1991年の第4版で初めて「窓際」が登場しています(「窓際族」の立項は第5版)。

「窓際族」のイメージとは裏腹に華々しく認知された「窓際」の影で、誰にも気づかれることなくじっとしている「壁際」の切ない表情が目に浮かぶようです。

この「壁際」はいつごろからあることばなのでしょうか。もしピカピカの新語であれば、辞書にないのもうなずけますが、そんなことはなさそうです。これは1960年の例です。

ぼくの眼は、手さぐりでもするように、四角い平石をしいた床や、壁ぎわによせつけて並べてある椅子や、〔中略〕床のうえにちらばっている上着などをみる。
――アンリ・バルビュス著、田辺貞之助訳(1960)『クラルテ』岩波書店 p.19-20

自分の知る限り、「壁際」の最も古い例は江戸後期、小林一茶のものです。

かくて日も壁際にうすづき、飯時にもならんとする比(ころ)、人のきらふ病なれば、閨(ねや)に入れ参らせけり。
――小林一茶(1801)『父の終焉日記』(矢羽勝幸校注(1992)『父の終焉日記・おらが春 他一篇』岩波書店 p.20による)

歴史も申し分なく、辞書に載る資格はじゅうぶんありそうに思えます。果たして「壁際」が「窓際」のように日の目を見る時は来るのでしょうか。

次回以降も、地味ながら、あるいは地味ゆえに辞書から漏れてしまったことばたちをじっくり賞翫してまいりたいと思います。

〈参考文献〉
見坊豪紀(1976)『ことばの海をゆく』朝日新聞社
見坊豪紀(1990)『日本語の用例採集法』南雲堂

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    ながさわ

    一介の辞書コレクター。暇さえあれば辞書を引いている。「四次元ことばブログ(http://fngsw.hatenablog.com/)」で辞書や言葉について発信中。

  • PROFILE

    葛飾出身

    1998年香川県生まれ。Twitter上で「今日の日記」として、レタリングをフィーチャーした動画作品を投稿するのが主な活動。その他デザイン依頼を数点。Twitter:@ahtamaraneze

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